翻訳家次第

積ん読のリストの小山から、一冊引き抜いたら、それが『ブルックリン・フォーリーズ』(ポール・オースター著、柴田元幸訳、新潮文庫)だった。

 

六月の半ばに購入して積んでおいた。パラパラやると、購入時の気分、がわいてきた。今年の六月半ば、といえばいよいよプロ野球の開幕を間近にひかえた時期、コロナ禍で開幕が遅れていたこともあり、今年の<読書期>は長引いていたのだ。

 

私の人生には<読書期>と<非読書期>がほぼ半年ごとに交替でやってくるスタイルがあった。野球観戦期とそのオフシーズンとしての<読書期>である。どちらがオンでどちらがオフでもいい、どちらも大切だから。ただ、切り替え時のスイッチの切り替えはメリハリをつけてきたつもりであり、それが哀しみと喜びの切り替えでもあった。

 

今年の、切り替え時は今月半ばからであり、すでに読む本は揃えてあり、それにこのポール・オースターの文庫本が加わったのである。ポール・オースターはなぜか『ムーンパレス』から好きになり、『偶然の音楽』、『リヴァイアサン』、『幻影の書』、『オラクル・ナイト』と読んできて、ま、この『ブルックリン・フォーリーズ』が最後になると思われ、感慨深く読みたいと思う。

 

ポール・オースターが好きという以上に、翻訳の柴田元幸さんの訳文が好きというのが大きいと思っている。ローレンス・ブロックの本は田口俊樹さんであるように。原書を読めるわけではないので翻訳家の力量に左右されると思う。

 

ブルックリンを想像していたら、NetFlixで『マザーレス・ブルックリン』という映画に遭遇してしまった。2時間半の大作だが、エドワード・ノートンが主演、脚本、監督をすべてこなし、1955年あたりのブルックリンを活写している。ポール・オースターの作品背景とシンクロしているのに感心してしまった。