歴史を紐解く

前後見境なく、わが歴史を紐解く、というほどではないが、戦後生まれ、団塊の世代には含まれず、という端境期に生まれ、幼少期や小学校を経て、なんだろう、あのケネディ暗殺のニュースを小学校の校庭で知った時の、わが頭がガツンとやられた感が、私の自意識の端緒となったと言ったら幼稚すぎるだろうか。

 

 

1963年11月23日、いわゆる勤労感謝の日の祝日なのに私はひとりで校庭で遊んでいた。そこへ友だちの父親が友だちと立ち現れ、ニュースを知らしてくれた。聞いた私は、その場にヘナヘナと崩れ落ちそうな気分に襲われ、ま、とにかく家に帰ろうと思い至り、駆け足で帰宅した。

 

 

家に帰れば、今みたいにネットにつながり、現地の最新の状況に接することすらできないのに。あの日の駆け足で帰宅した道すがらでの思考が私の人生初の思考であった、と今思う。

 

目からうろこ

やや、難しい病気にかかり、現在闘病中。そこから私のどうということもない日々が始まり、おりにつけ更新していくことにした。病気について詳細を書くことは避ける。闘病という名の日常生活についてかく。


日常的には、ふだんと変わりがない。頭の中は多少の混乱があり、完全に整理されているとは言い切れない。その頭をなんとか活性化させようと、読書にいそしんでいる。今週は『人新世の「資本論」』(斉藤幸平著・集英社新書)にハマっており、熟読している。マルクスヘーゲルなどドイツ哲学を専攻する気鋭の若き学者(34歳)がマルクスの提唱する資本論を20世紀の読み解きから解放し、21世紀、あるいはコロナ禍にある現在におけるマルクス哲学の今日的読み方を表したもの。この種のジャンルにおいては珍しく、25万部というベストセラーとなっているそうだ。


共産党員ではなく、高校時代にマルクスの『共産党宣言』をクラブ活動の一環で読み始めた私には、数十年経って、はじめて目からうろこが落ちる思いで、読み進めた。息子ほどの年代の若者が百年前のマルクスが表した思想哲学を現在の世界の状況を例証しつつ、残された我々の生存のための指針、あるいは綱領として最も斬新ではないか、というのだ。


頭の活性化につながるか、なんともいえない。しかし、数十年前に読んだ一連の本が今日、最も斬新な本としてよみがえった思いは、非常に勇気を与えられた。

さすが、リドリースコット

桜の花びらが散り、新芽が出てくるところ。。ただ、今年は宴会ではなくて、花見(鑑賞)の、つまりは桜を観賞する機会を逸した感ありありで、ちょっとした喪失感を感じている昨今。


今現在、チームとしてこれが最後となるだろう、活字とカラー印刷による冊子編集中でわりと締め切りが緩めなんで、味わいつつやろうぜとのあうんの呼吸でゆったり、ひとつひとつの作業を進めております。これはこれで楽しい、妙な感傷などは露の先ほどもない。


これとは別に、個人的にクリアしないと先に進めない案件があり、まずはこれに専念。夏の終わりあたりまでには東京を引き払い、南信州に引っ越しを計画中。その先のプラン共々に。最近、案件に関する雑事が多々あり、繁忙中。


そんな中、『エベレスト』という山岳映画、『ブラックホーク・ダウン』(リドリー・スコット監督)の2作品は見るべきものがあった。一方、読書の方は、ローレンス・ブロックの世界に浸りきっていたので、無収穫。後は、つい最近、始めた創作作業の準備に追われています。残り時間はこの<創作>に捧げる予定なので。

マットとともに生きた40余年

彼岸に入り、少しずつあちらこちらで、桜が開花した。東京の開花、14日というのは気象庁のフライングだと思う。昨日今日でよかったのでは。ま、一種のお役所仕事、一年に一度のイヴェントだから大目に見ることにしよう。


一週間前、家人と渋谷に出かけ、東急本店に赴いた。丸善ジュンク堂が入っており、時間にゆとりがあったので、ゆっくり売り場を巡ることができた。そうした条件が重なって、5年ぶりの<遭遇>がおきた。わがローレンス・ブロックの新刊を平台に発見したのだ。それもいわゆる<マット・スカダーもの>だった。たぶん、これが最後の<遭遇>になりそうだ。だから、この<遭遇>に際しての幸福感をゆっくり味わうことにした。

 

『石を放つとき』(ローレンス・ブロック著/田口俊樹訳/二見書房)は、三年前に書き起こされた新作中編と著者が自選した短編11作を併せた日本オリジナル編集という形をとっている。短編集には『夜と音楽と』というタイトルがつけられ、「マシュウ・スカダーとともに育って」と題した俳優、ブライアン・コッペルマンの序文があり、著者によるあとがきがついている。


短編集では1990年代から2013年までの代表作が連なり、マットとそれを取り囲むおなじみの登場人物がそれぞれの役割を持って登場する。で、酒場を営む肉職人のミック・バルー、マットの一番の友人だが、彼の酒場アームストロングの店が閉店する下りもあり、このシリーズの終末感がにじみ出ている。そう、ブロックの最後の著作になりそうなのだ。それは短編集の著者あとがきにも、このシリーズの紆余曲折について綿密に書かれている。最後かぁ、そりゃそうだな。


短編をひとつずつ、舌をなめるように読み進める。登場人物の造型だけでなく、造型と言うより、会話を用いて人物を描くところに真骨頂がある。それに加え、マットが歩くマンハッタンの各地のブロックごとの描写でニューヨークを熟知した気にさせてくれる。


ま、とにかく、このシリーズの読者はみんな、マットとともに40余年をともに人生を重ねてきた。フィクションの主人公だから、現在55歳という矛盾はあるのだが。そして、これが最後だという独特の感情を味わう宿命にたどり着いた不思議。時代と現実と虚構の三すくみがもたらす不条理、それは人生の宿痾と同様のものと気づかせてくれる、そういう事態だと思う。

バッテリー交換

iPhone のバッテリーが心もとないので交換したら、新しいiPhone を購入したかのような変貌ぶりに唖然呆然。ふと、思った。人間にもバッテリーがあり、交換可能だったら、と。

 

篠田桃紅さんが亡くなった、107歳だった。若き編集者として、篠田さんのエッセー(本当の意味でのエッセーと呼べるものだった)と書画を組み合わせた<豪華本>を担当した。圧倒される人間力エナジー)、速射砲とでもいうべき発言力(語彙も理論も並を超えていた)は驚愕だった。

 

『草薙の剣』(橋本治著・新潮社文庫)を読んだ。昭和から平成への世界に浸れた。著者の最後の作品、もう、再び著者の作品を読むことはないだろう。あわせて、ドラマ『ホームランド』のシーズン5から8までを見た。防諜の世界を描いていて、それはそれで見応えがあった。

 

あと10日もすれば東京地方の桜が開花するだろう。事態が収まるまで、家人と南信州へ行くことができない。行けるようになれば、南信州の桜がどうなっているのか。気もそぞろの日々。

ロバート・レッドフォード

今年の2月の平均気温は間違いなく、例年を上回るだろう。で、今冬は暖冬となるだろう。東京の桜開花が3月20日との予測もさもありなん。いよいよ春爛漫の季節である。年を重ねると、そのことのありがたみが身にしみることを実感した。


家人が介護してきた老人が95歳の大往生を遂げて、家人の身分も完全フリーとなった。毎日家にいる、そういう状態がこれから始まる。週に一日(木曜日)しか休まずに、という日々が続いていた。私の仕事はほぼリモート(時折、打ち合わせに出かける以外は)だからこれからは毎日角を突き合わせる日々となる。これからのことはゆっくり考えるとして、まずは初春の房総半島の岬まで旅をしようと計画している。


昨日は日がな一日、Netƒlixで『消されたヘッドライン』、『スポットライト 世紀のスクープ』を続けてみた。こういうのを年に何度かやる。新聞ジャーナリズムを扱うが、二作は全く雰囲気が異なる。後者は登場人物が複数でチームとしてのジャーナリズム、前者は一人のベテランと一人の新米記者のツーショットで描かれる。


関連でいうと『ニュースの真相』もよく見る。ロバート・レッドフォードを見たいからで、彼のジャーナリストを描いた作品としては『大統領の陰謀』も好きだ。ロバート・レッドフォードは現在84歳、82歳で出演した『さらば愛しきアウトロー』では単独での銀行強盗犯役を演じた。私の映画鑑賞歴で一人のキーマンであることは確かだ。

青い影

プロコム・ハルムのA Whiter Shade of Pale、邦題・青い影をあらためて聴いていると、1968、1969年という若き自分の時代を思い返した(最近、そんなことばかりしているのだが、笑)。


アマゾンプライムで500円払ってレンタルした映画『フクシマ50』を見た。脚本が前川洋一だったので見る気になった。例の福一原発事故で、現場で緊急事態に対応した50人とそれを指揮する吉田所長、東京で指揮する東電幹部、そして官邸のそれぞれの姿勢や言動をリアルタイムで描いていくドキュメントドラマ。


菅直人役の佐野史郎の快演、吉田所長役の渡辺謙、現場指揮の伊崎を演じる佐藤浩市、現場唯一の女性総務職員役の安田成美、ほか多彩なキャスティングも見るべきものがあった。


タイトルの<FUKUSHIMA 50>は海外メディアがこの事故の報道を通して現場の職員をたたえた呼称。当時から、10年前から日本のメディアにはこういう視点を持たなかった象徴でもあり、皮肉なことこの上ない。500円の価値あり?ありますよ。特に、渡辺謙佐藤浩市がタバコを吸う場面、煮詰まった所長が机の下にかがみ込んでいるところへ安田成美が寄り添い交わす言葉の迫真、など見逃せないシーン多し。