38度線、イムジン河

1970年代、天才的な編集者と業界が認めていた塙嘉彦さんが編集長を務めた文芸誌『海』に出会った。以降、塙さんが白血病を患い、45歳で夭折(1980年)するまで、毎月購入し続けた。


サミュエル・ベケット 「名づけられぬもの」、アラン・ロブ=グリエ 「囚われの美女」、A・カルペンティエールバロック協奏曲」、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ 「海への回帰」、ガブリエル・ガルシア=マルケス 「愛の彼方の死」、ミラン・クンデラ 「失われた手紙」、ジョン・アーヴィング 「インテリア・スペース」、金芝河 「大説『南』」、ドナルド・バーセルミ「バルーン」「ガラスの山」「父の泣いている風景」などの世界(?)文学や、武田泰淳 「富士」、水上勉宇野浩二伝」、辻邦生 「背教者ユリアヌス」、大岡昇平ミンドロ島ふたたび」、古井由吉 「円陣を組む女たち」、塩野七生 「海の都の物語」、吉本隆明 「書物の解体学」、野口武彦谷崎潤一郎」、水野忠夫マヤコフスキー・ノート」、唐十郎 「吸血姫」、後藤明生 「夢かたり」、筒井康隆虚人たち」、田中小実昌 「ポロポロ」、色川武大 「生家へ」、種村季弘 「山師カリオストロの大冒険」、倉橋由美子夢の浮橋」、小林信彦(文)、荒木経惟(写真) 「私説東京繁昌記」、村上春樹中国行きのスロウ・ボート」 などの綺羅星のような文章群にまみえることができた。(文献は手元にない。現在はまったく行っていないが、当時は読み終えた作品と著者名(フルネームで)をノートに書き留める、自分でも信じられないけど、几帳面な一面が私にあったのだろう、そのノートが手元にあり、こうやって日の目を見る(笑)ことができた)正確に期すと、上記の作品(および著者名)のほとんどが連載であり、そのすべてを読んだわけではなく、ノートに書き留めたのは、初出で感銘を受けた時、であり、その印象を記しているものもあるが、初出から連載の最後まで読み通した記憶はあり、結果、断片をかじった、に過ぎないのだが、当時の雰囲気では、主流(あるいは王道といってもいい)からはずれた異端に挑んだ、というわが気概はわれながら許容範囲、ではある。

 

先週の土曜日、堀江敏幸『曇天記』を購入しようと渋谷のジュンク堂へ行ったのだが、隣の棚に後藤明生の『引き揚げ三部作』(発行・つかだま書房)という分厚く重そうな書籍を目が追ってしまい、定価が5555円税別、iPhoneの計算機で税込み価格を調べると5999円、最近、アマゾンでもこんな高額な書籍を購入したことはなく、しばし熟考の末、購入。


大学時代、ゴトウメイセイと呼びつつ、これは必須図書という雰囲気が周囲にあった。私は『海』の連載で「夢かたり」を読んでいた。三部作と呼ばれる三作品は、その後、単行本になり、やがて、文庫本にもなった。およそ雑誌連載から40年あまりの歳月を経て、グロテスクな編集でなぜこの期に刊行されたのか、言わずもがな、である。


イムジン河を最初にフォーククルセダースが歌ったのは1966年だった。(原曲は1957年)ラジオでのオンエアも深夜の一部の曲にに限られていたが、レコードの発売がややこしくなった。フォークル版「イムジン河」は松山猛作詞、加藤和彦編曲。映画『パッチギ!』は松山猛原案なので、フォークル版「イムジン河」ができあがるいきさつがなんとなく、いや、鮮明に分かる。イムジン河は38度線北朝鮮側に流れる川、臨津江のこと。1968年にインディーズで発売、2001年あたりにやっとレーベルで発売。


フォークルの名曲「悲しくてやりきれない」(近い例では映画「この世界の片隅に」オープニング曲)は、1968年頃、「帰ってきたヨッパライ」のブレイク後、次を求められた加藤和彦が「イムジン河」のメロディを逆にたどりつつ15分で作り上げたといわれる。作詞は北山修ではなく、サトウハチロー。脱線ながら、映画『深夜食堂』に出てくる多部未華子が、別のドラマでこの「悲しくてやりきれない」を歌唱しているのを見て、わあ、好きだわ〜と。


「引き揚げ三部作」、非常に(重量的に)重い書籍で、一行の文字数が多く次の行への移動もおぼつかない、(装幀もレイアウトも気に入らない)、そろそろ発症から一年を経ようとするわが持病・帯状疱疹神経症が今や右目に痛点を移しもう5ヶ月になるのに収まらず、つらい読書なのだが、この書籍は今、読み終えないと後はない、そういう一心で読み続けております。半島を含め植民地支配を、ほかでもないこの日本という国が行っていた、このことを忘れないために。改竄でも隠蔽でもなく、引き揚げや残留というキーワードとともに。