新年の別れ

あけおめ、ことよろ。しかし、今年はほとんど、このフレーズ(正式版も含めて)を使用する機会がなかった。三が日を過ぎた頃ダウンして、8日まで自宅でゴロゴロして過ごしていたせいもある。昨日、エビカンでの仕事始めにナンとか這うようにして出かけ、スライディングにようやく成功の様。


世情に疎くなっている身としてヒアリングに終始、仕事仲間に聞くと、今年は8日まで休みを取っている勤め人が多く、実質東京という町も、昨日から機能しだした、ミラノ、ロンドン、クアラルンプールという各都市では、日本人と思しき観光客を多く見いだした、4日、5日の通勤客はふだんの3分の2、等々。


盆暮れという時期はともかく、長い休みをとってどこかへ行く、何かをする、そういう日本人像、まあ、多様化してきたという見方ができるのであれば、実にいいこと、だと思うのですが、果たして実態は。


4日に星野仙一さんが亡くなったというニュースを夜更かししていた私は6日の午前3時頃の時事電でいち早くキャッチ、追い記事を探すにはツイッター、ですね。午前4時頃には日刊スポーツがWeb版で長文の記事をあげ、コラムニストの小田嶋隆さんが6時頃には自身のブログで10年ほど前に書いたものを改めて加筆修正してアップという離れ業、さすが、です。もっともインサイダーであるところの中日新聞系のメディアはもとより球団のコメントなんぞを、選手として、あるいは監督も2期務めた特異な方の訃報とそれにまつわる関連記事をアップするのに半日から一日を擁するというていたらく。


賛美8割と批判2割の横溢する記事や何やらで賑わっている中、あらためて書きたい気持ちはあるものの、私でさえ、愛憎相半ばする御仁であり、今、急いで書くことでもあるまい、と。74年のジャイアンツV10を阻止した優勝時のエースぶり、現役引退後すぐに青年監督を引き受け、就任早々、三冠落合広角打法をトレードで獲得した、までは大いに贔屓したものであるが、2度の優勝を除いては、こちらが引くような面も垣間見られ、名古屋と決別して大阪へ行った時には、ドラゴンズファンの私も決別、したものです。タイガース、イーグルスで各一度日本一に導いた手法も、ああ、それでいくのね、というもので。何より、北京五輪での惨敗ぶりには目を覆ったもので。


個人的に、あくまでも個人的に、そう思うのであり、勝負の世界に生きた人、その故人をむち打つつもりは全くなく、私のふるさと出身の明治大学・島岡御大のもと、その教えを父の教えと素直に受け止め、しごく全うに戦う意欲に満ちた投げっぷり、ジャイアンツという<権力>に向かう<反権力>という姿勢を体現した野球人としての姿は目に焼き付いて離れません。あらためてご冥福をお祈りいたします。


その上で、一ドラゴンズファンとして、最初の監督就任直後にトレードで落合広角打法を獲得したことこそが、後に、ドラゴンズに<黄金の8シーズン>をもたらせた最大の功労者ではないか、と個人的に記しておきます。ついでに、核心的な言い方をすれば、この方の処世の術は並の政治家以上のものがあり、私は密かに、この方の天職はNPBコミッショナーではないか、と思っておりました。WBCの代表監督などと言うユニフォームよりスーツを着て、球界改革にその手腕を活かす環境を整える、そういう<周囲>がいなかった、これが日本の現状でもあるのですが。


7日のニュースでは、シャンソン歌手のフランス・ギャルさんの訃報がありました。星野さんと同じ、70歳の逝去でした。