西日の差す仕事場で

年内ラストの更新ということで、一年前のテクストを見直してみたら、あらまあ、年末雑感、ほぼ同様のニュアンスでおり、ナンにも変わっちゃいねえじゃねえか。


<・・・私が主語ではなく、社会全体の話なんですが、2016年も最終週、とはいえ、一日一日の充実を心がけていれば、年末だとか年始だとか、あるいは年が変わる、年齢を重ねるなどということにことさら思いを置くような心境にはならず、ただ季節感を感じていたいとは思うものの、日によって気温が乱高下し、季節が進んだり戻ったりする、気象状態が異常なのか、社会の停滞(劣化症状)などが繰り返されている中、やっぱりクールに自らを措き、ほんとの意味でのリテラシーの力を研ぎ澄ませる、そうやって後6日を過ごすのだろうな、と。・・・>

 

おおむね、ことしも同様の心境であり、自分の体調が劣化、退化、老化のいずれもが押し寄せてきている、これを加えなければ今年を振り返ることはできず、とんだ災難(帯状疱疹)に見舞われたなととらえるか、ヘンな腫瘍がみつかりなどという事態を慮るならば、これで良しとするか、傾向オプティミストな私としては後者、ですね。

 

当初はこんな痛みを抱えて生きていくのかという心境の時もありましたが、あるとき家人から「他人(ひと)の痛みだけは共有できないからね」という名言を頂戴してからは、あの痛みがわが肉体からやや遊離し、爪先ではじいてみたり手のひらでマッサージしてみたり、サドなのかマゾなのか不明なもてあそび方を心得てからは、痛み止めリリカ以上の効果を発揮し、見事痛み分離作戦に成功し、なぜかあの歩きスマホやら電車内で画一的にスマホに向き合っている1984的な未来粉飾の方々とは一線を画した感のある、昨今です。

 

今、エビカンの仕事場のPCから例によって、Stone で執筆しているのですが、冬型の気圧配置のなせる技か、東の窓と西の窓から豊富な日差しを浴びて、机周りはライト不要、一昨日から、年末年始を海外で過ごす班が離脱し、6人の侍が3人の侍に減り、この3名で明日の晩は最寄りの食堂にてささやかにして豪奢な忘年会を執り行い、今年の仕事納め、私の主立ったスケジュールも終わります。

 

閑話休題。あらためて『シャーロック』見直したら、ワトソンさんのブログ、結構、シャーロックも気にしていて、多くの言及をしているのですね。しかもきわめて示唆的に。この示唆をメモして、私のブログに反映させようと考えており、BBCの同番組の制作陣たちに大いに栄光あれ、と敬意を表しておきます。シャーロック(ベネディクト・カンバーバッチ)、ワトソン(マーティン・フリーマン)はじめ、マイクロフト(マーク・ゲイティズ)、メアリー(アマンダ・アビントン)、モリアーティ(アンドリュー・スコット)、モリー(ルイーズ・ブリーリー)、ハドソン夫人(ユナ・スタッブス)、レストレード警部(ルバート・クレイブス)らキャスト陣には大いなるオベーション、です。これほど繰り返して見ているのは、『ミレニアム』シリーズ以来。『ミレニアム』といえば、原作はどんどんシリーズが進んでいるのだが、ドラマとしてのシリーズ、続くのだろうか。ノオミ・ラパスミカエル・ニクヴィストのコンビを見てみたい。

 

今年、とりわけ後半は読書という楽しみを奪われてきた。映画、ドラマ、オペラ、舞台などDVDを多く見た。こういう年は珍しかった。来年はでき得れば、読書をふつうに楽しめればと思うのだが。この間、書いた『その犬の歩むところ』(ボストン・テラン著・田口俊樹訳・文春文庫)みたいな本との出会いをみすみす逃すのは自分的に大いなる損失と思うから。ボストン・テランはどう読んでも女性である、女性にしかない視点で、犬を主人公に描ききった、と推理する楽しみ、女性の想像力、創造力の理想型を味わう喜び、などと書いているのだが、なぜかというと、現実社会がクソだから、という一言に尽きる、そういう悲しさをたたえつつ、2017年は暮れていきます。