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キツネにだまされなくなった

今日は元旦に続いてのぞろ目の日。先週土曜日更新のビデオニュースドットコムを見ている、新年初めての回は『座席争いからの離脱のすすめ』と題して、哲学(万物学)者・内山節氏を招いての番組をチェック。生の内山氏を見るのははじめて。かつて『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という名著を読んで、すばらしき納得を味わったことを覚えている。この名著が刊行されてもう10年も経つんだ。名著では日本の文化は1965年に大きな転機があったと指摘されていますが、世田谷・経堂に生まれた内山氏は新宿高校を卒業後、70年代に群馬県上野村に移住し、独学の哲学研鑽、という履歴が披露されると、米も野菜も作れない山の傾斜地に位置する上野村では明治期、多くの炭焼き人が移り住んだという話を始める。久々に私は『スミヤキストQの冒険』(倉橋由美子)を連想したりして。

国家が人々の幸福を保障できる時代がとうの昔に終わっていることを認識することが重要、といって始まった鼎談、以下、内山氏の骨子抜粋。

グローバル化の進展で先進国は軒並み、これ以上大きな経済成長が期待できない状況に陥っており、この停滞は単純なものではない。無理に成長を実現しようとすれば、弱いセクターを次々と切り捨てていくしかない。当然、格差は広がり、共同体は空洞化し、社会は不安定化する。

 これまでの考え方を根本から変える必要性を強調する。国家がわれわれを幸せにすることができないことが明らかになった今、この際つまらない座席争いからは離脱し、自らの足で立ち、自ら何かを作る作業に携わってみてはどうか。それは単なる「物作り」とか「手に職を」といった類いのものだけではなく、例えば共同体を作るといった作業も含まれる。

 これまでの方法で国家が人々を幸せにできなくなった時、人々は2つの選択肢に頼るようになる。一つは、これまでのルールや価値観を曲げてでも、より強いリーダーシップを発揮できる指導者を待望することであり、もう一つが、新たな枠組みを模索する動きだ。その2つの動きのうち、今後、どちらが優勢になるかはわからない。しかし、これまでの民主的な政府にはもはや寄りかかれそうもないので、より強権的な指導者を待望するというのは、少々危ういように思えてならない。どうせやるのなら、新しい時代を切り開くムーブメントに自分なりの方法で参加してみてはどうだろうか。>

かつてショーペンハウエルが「自己実現」というパラフレーズに難色を示したように、内山氏もこの言葉の誤謬について指摘、ほぼ宮台センセと同様のモバイル(自分の役割を実践すること、私的造語)をすすめる。正しくは「ムーバイル」かも。

いずれにしても、新聞テレビなんぞは頼るすべもなく、この神保哲生宮台真司の神宮コンビが提供する『ビデオニュースドットコム』と上杉隆の『ニュースオプエド』、『リテラシー』をチェックしつつ、ムーバイルしていくつもり。新聞一紙の購読料よりよほど安く、内容充実。とりわけ、神宮コンビの映画案件と『ニュースオプエド』月曜日(玉木正之氏担当)は外さない。しかし、うっかりしていると、昨年11月号のユリイカという雑誌が<みうらじゅん>を特集していることを見逃している、などという肩すかしを食らう、そういうのが今、だと思う。みうらじゅんといえば、文化放送いとうせいこうと一緒にやっている番組は面白い。同じ意味で面白いのは、月曜深夜のTBS、<東京ポッド許可局>。サンキュー・タツオ、プチ鹿島マキタスポーツの<売れない3人>がポッドキャスティングしていたものを、TBSが地上波に載せたという異例番組。テレビ、新聞はスルーするけどラジオだけはそういうわけにはいかない、掘り出し物が多いのです。