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耳の力

日本語は難しいと思う。端的に言えば、<話し言葉>と<書き言葉>という2種言語によって成立している(ほかの、外国の言葉のことはよく知らない、笑)。かつて東大出の優秀な作家さんで秋田実さんという方がおられた。もうずいぶん前に亡くなられたが、万歳という芸能を漫才というモダンな芸能に塗り替えた人だ。漫才の台本を書いた初めての人でもある。だから、<話し言葉>を<書き言葉>に置き換えたり、逆をしたりという言葉の練達者でもあった人。

この秋田先生が、漫才は論議やつじつまが飛躍しなければならないと指摘しています。そうですわな、かつてのヤスキヨなんぞはそのへんが革命的でした。その飛躍の鮮やかさこそ漫才の本領、だというのです。ラジオで漫才を聞いている人は、毛糸編みの編み目を数えながらでも聞くことができる、というたとえ話を持ち出し、耳というものは言葉についてそれほど許容量の大きなものだ、「耳はバカですから」という名言を残しております。おなじ著書で、秋田先生は目については「目はそうはいかない。実に煩い」といっております。テレビの草創期の話ですが。目の話はおいとくとして、耳の話。<書き言葉>は非常に読みづらいものです。ところがこの<書き言葉>を音を出して読んでみると、意外にも情景やイメージが沸き、言葉の意味を理解しやすくなります。で、個人的にラジオの魅力は、漫才の魅力と同様、音だけで勝負する、そこにあると思っています。

オープニング がビゼーカルメン組曲第1組曲より Aragonaise(アラゴネーズ)、途中はベートーベンの ヴァイオリンソナタ第5番や交響曲第7番 、エンディング が再びカルメン組曲第1組曲より Les Toreadors(闘牛士)という音曲に彩られたラジオの番組が始まった。目下、首都圏民放ラジオでいちばん注目を浴びている番組で、こんな長い前置きをしなくても周知の事実だからとも思うが、こういうのを毎朝聞かされる(別にチューニングする必要はないし、ラジオのスイッチをオフにしたっていいのだけれど)ことになるとは思ってもいなかったので、すごいダメージ受けてます『伊集院光とラジオと』。秋田先生は「耳はバカですから」とはいうけれど、伊集院光のラジオ力(彼は書き言葉をイメージし、それを瞬時に音読みできる特異な才能を持っていると思う)はハンパでないので、仕事をするのに支障が出ます。