So,What?

前回が5月下旬だったから、ほぼ3週間更新を怠ってきたワケで、でも、罪の意識は不思議とない(笑)。取り立てて書くべき内容のない日々を送ってきた、と書くべきだろうがそうではない。書くべき事柄が多い場合も書くのをためらいつつ日々を送る、そういうレイジーな側面が個人的には多々認められる。

とくにバラク・オバマの圧倒的な存在感と、一方、<耐えられない軽さ>を具現する存在である某氏についてはその<言葉>さえ、耐えられない意味不明さであり、などと書くのも文字が腐るからやめておきましょう。

1926年の今日は日本の詩人、茨木のり子が生まれた日です。代表作「わたしが一番きれいだったとき」を思い浮かべ、実家の書棚から取り戻してきた詩集に収められていた一葉、個人的に彼女の<いちばんきれいな>写真であると思う、タバコはかくして吸うべし、のナイスショットです。

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<・・・いくばくかの無償の愛をしかと受けとめられる人もあり たくさんの人に愛されながらまだ不満顔のやつもおり 誰からも愛された記憶皆無で尚昂然と生きる者もある ・・・>(居酒屋にて)

さて、この半月の間にわが音空間に変化がありまして。20年ぐらいの間、見事な重層なる音を提供してきたBOSE WAVE MUSIC SYSTEM が加齢による劣化甚だしく、ついに印籠を渡してあげることに。そのBOSE、某オークションにて落としてくれた奇特な方が居て、その方の落札価格の範囲内で、私の新たな、そして最後のコンポーネントKENWOOD XK-330 がやって来ました。比較はできませんが中々に新鮮です。

ハイレゾなどというサウンドがいかなるものかは知らないけれど、私にとって、ジャズとクラシックを音質操作を加えなくても聞けるコンポであればナンでもいいわけで、まずはクラシックはダニエル・バーレンボイム指揮、ウィーンフィルブルックナー第7交響曲を、そしてジャズはマイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンの So What ?、と試し聞き、う〜ん、ノープロブレム。

ああ、それと、これは私には嬉しいワイドFM、TBSラジオと文化放送をいい音で聴ける、『菊池成孔の粋な夜電波』をFMサウンドで聞ける、いわんやBluetooth で、i-Pod 音源もPC音源も聞ける、などと<夢の世界>であり、スペースと要らないコードを不要とするのも嬉しい。最後はYoutube桑田佳祐の新譜『ヨシ子さん』を聞くに及んでハイゾクッな気分に。

異邦人

最近、武満徹ソングブックにハマり、女流シンガーにハマっておりましたら、何かの弾みに『異邦人』という久保田早紀の曲に再会し、まさにこの体験は、この間、三島由紀夫賞を『伯爵夫人』で嫌々受賞した蓮実重彦氏が、その授賞会見で並み居る凡庸な記者相手に応えたハスミ節で「小説というものは、何か動機があって書くものではなく、向こうからやってくるもの」と述べた件で、久々に会見というもので快哉を叫ぶ気分を味わえた。

この曲は、久保田が大学の通学途中に八王子に向かうため国鉄(当時)中央線に乗っている際に、ふとした瞬間出来上がった曲で、元々は「白い朝」というタイトルだったが、「イメージが伝わりにくい」「インパクトが弱い」という理由からプロデューサーである酒井政利により変更され、独特のアラビアラテンのイントロなど編曲は萩田光雄、プロデューサーの酒井は、同年初頭のジュディ・オング「魅せられて」でエーゲ海を題材にしたのに続いて、聴衆の異国情緒に訴える題材としてシルクロードを選び、作詞作曲者が当初には想定していなかったエキゾチックなイメージを加味し、「シルクロードのテーマ」のサブタイトルを付して発売した。シルクロードのイメージを増幅させるため、民族楽器のダルシマーも本曲に使用された、・・・、とウィキにある。まあ、それもあるが、こういう<一発アート>は、久保田早紀という歌い手の、あの時代ならではの<憂い>とか<アンニュイ>がつづら折りにされて結実した、というのがアレで。

「今日、ママンが死んだ。」で始まるアルベール・カミュの『異邦人』。アルジェリアのアルジェに暮らす主人公ムルソー、母の死を知らせる電報、涙を流すどころか、特に感情を示さず、旧知の女性と情事にふける、普段と変わらない生活を送るが友人レエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾され、殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と陳述、死刑を宣告されたムルソーは死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする、・・・、そんなアールヌーボー

コリン・ウィルソン(代表作のひとつ『アウトサイダー』は L'Étranger の英訳であり、その中ではカミュの『異邦人』も扱われている)という関連リタレリーもあった。カミュの『異邦人』が先にあっての、久保田早紀だと思う。久保田早紀カミュを読んでいたかどうかは不明だが。

それから幾星霜(ン十年)の現代、小説『異邦人』、そして歌謡曲『異邦人』が発表されてから実に、半世紀超えた現代(21世紀、ですよ)、建築エコノミスト森山髙至さん(@mori_arch_econo)がツイッターで、『異邦人』の替え歌に挑んだ。

魍魎たちがJOCに集い諸手を挙げて
金や地位や名誉までも掴もうとしている
その姿を昨日までは何も知らない国民
IOCにおもてなしが届いたと信じていた
裏で電通と触れ合う竹田
過去からも度々と呼んでいるうちに
BTにとって私ただの通りすがり
ちょっと振り込んでみただけの違法金

 

明日から、異邦の首脳たちが「お伊勢さん」に集い、サミットという名のお祭りをするらしい。あ、そうそう、この『異邦人』、エゴ・ラッピンの新アルバムでもカバーされておりますね。それから、森山髙至さんも指摘されているように、巻き添え、いえ、舛添都知事にはどこまでも現状を貫いて頂き、「私なんぞ、かわいいもんでしょう?もっと、上を行くハイアー官僚やアップアップ閣僚なんぞを追求遊ばせよ」という展開をお見せ頂きたい。また、飛んで申し訳ございませんが、蓮見先生にはご自身も申されていたように『ジョン・フォード論』の完結編をお願い申し上げます、老いの楽しみなのですから。

トドのつまり

エイプリルフールの日の夕刻、体調を崩したから、ほぼ一ヶ月半にわたる安静生活を送り、先週末から<通常生活>に戻る。何が安静で何が通常かは不明ながら、なにやら懐にダイナマイトを抱えた気分で行動していることに違いはない。友人が気休めに「この年になれば、死ぬこと以外はかすり傷、と思って過ごすしかない」という言葉を浴びせ、その友人は最近5カ年間に2度ガンの外科手術を体験している、つまりはかすり傷を名実ともに2つ抱えている。恵比寿代官山(われわれは仕事場のあるそのエリアをエビカンと呼んでいる)、エビカンの居酒屋で久しぶりの飲み会。

仕事仲間の他世代も当初は参加していたが、なにせGW明けのこの時期、というよりは<世の中的>に(非常にくだらない事象がほとんどだが)材を取る作業が繁忙を極めているので<現役世代>は作業に飛び出し、材が集まってから後がわれらロートル世代の出番ということで、二人が居残った次第。ビールを舐めるように飲み、鰹を何種か巧みにさばかれた料理をつまみつつ、語られる話題といえば、60年代からほぼ半世紀疾走し続けた蜷川幸雄氏についてであり、おびただしい量の実績よりも、われら二人に共通する思いは「死ぬまで現役、っていいよな」であり、ガンに冒されながら舞台をつくり、最後はガンでなく肺を主とする多臓器不全で逝く、というところに訴えるものがある、ということ。

映画とか舞台というのはもともと嘘をどう構築し、どう見せるか、そのために役者がどう演じるか、一つの原作を演出する方法でずいぶん異なった世界観を与えてくれる、そこに醍醐味があるのだが半世紀にわたり一人の演出家がつくりあげた世界観、これまた、醍醐味といわずにナンと言おう、そういう話でもあった。今は、世界観そのものが消費され、消化される時代になっているからこそ、蜷川幸雄という巨人の存在感が大きかった。

難しいのだけど、GW中の頃、偶然、暇をもてあましているなかで、「北の国から」を見る機会があった。ずいぶん迷ったのだけど、初期の作品と最後の「遺言編」を見ることにした。それでも2日間ほどの時間を擁した。昭和の匂いを芬々とさせ、さらに倉本聰氏のアクどく鋭いフィルターにかけられたセリフを聞いているだけで、むずがゆい思いから何度途中でやめようと思ったか、しかし、役者たちの存在感がナンとか引き留めてくれた。そして「遺言編」で出てきたトド役の唐十郎に打たれた。あれはまさしくテレビというメディアへの最後の<遺言>だったのかも知れない。

安穏、みどりの日

安静加療中の診療検査で、新たな<欠陥>が見つかり、安静の継続、いわば大獄感満載の生活を続けてきて、最初の診断により安静を命じられてから1ヶ月を超えた。たぶん、明後日6日の診察で晴れて解禁となると思われ、たまりにたまった仕事を展開していかなければならず、昨日今日はその<仕込み>に勤しんでいる。

熊本・大分の地震はいまだ「余震」が収まらない<想定外>の災害となっている。発震以来もう20日ほどになるが、なにせ<本震>と思っていた震度7が実は<予震>でその後<本震>の震度7がやってくる、そういう災害であったことがニッポン人に何事かを伝えようという<意思>を持ったものであること、そう思わざるを得ない。

前田健が急死した、というニュース。ほとんどのニュースが「お笑いタレントの」前田健さんが・・・、という表記で伝えているが、本人としても至極残念に思っているだろう。数少ない映画に出演している彼を確認している私でさえも、「俳優」の前田健、だ。テレビに出ている前田健は<よすが>の姿。その他、カミングアウト事項についてもNY在住のジャーナリスト・中丸雄一さんのツイートに詳しいが、触れるメディアが皆無。

訃報でいえば、プリンスやらがビックリだが、個人的には戸川昌子女史、寿命とは言え、60年代カルチャーの女王であり、「青い部屋」をよく知るが、46歳で一粒種をもうけた高齢出産の先駆けではないか。

安静生活には読書と映画と音楽と。読書は懸案の小室直樹本を読みつつ、快楽的には映画、邦題『最強のふたり』が素晴らしかった。何年前かの東京映画祭のグランプリ?そう言うの、見てこなかったんだ、反省。音楽は武満徹ソングブック、女流歌手の唄う武満ワールド(作詞は谷川俊太郎)。あと、『リップヴァンウィンクルの花嫁』(岩井俊二監督)とテレビドラマ『重版出来』の黒木華ワールドにハマって、さぁ、大変。

映画カラオケ

年少のスタッフがわが家に届けてくれた資料、『東京人』2009年11月号をこの一週間、熟読。

 

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この号の特集は「映画の中の東京」、そのメイン対談として聞き手・川本三郎さんが大瀧詠一にインタビュー、これが「映画カラオケ」のすすめ。成瀬巳喜男監督の『銀座化粧』、『秋立ちぬ』について、川本三郎さんの著書『銀幕の東京』にインスパイアされた大瀧詠一さんが、1973年から通い詰めた銀座のスタジオ近くの公園が『秋立ちぬ』の京橋公園であろうという推測からスタートし、2作品を繰り返して見ては、あるいは古地図や資料、あるいは関係者への聞き取りを行い、主人公を抜いた風景を作ったらどうか、これがいわゆる<映画カラオケ>手法、木を見て森を見ずではなく、木村伊兵衛の一枚の写真を見て、そこから膨大な情報を得る、成瀬監督は手法の他に概念も踏襲した、という作家論にまで突き抜ける、ここには書けないが、実際は相当な時間と手間をかけた作業が行われている、・・・。

 

テレビの制作者、あるいはドキュメント作家たちは、このインタビューをもとに、すぐれたドキュメントを作り上げることのできる<素材>としては一級品であると思うのだが、まあ、ムリかもね。昭和20年代、30年代の東京銀座から新富町、木挽町、入船町近辺と21世紀の現時点、その変遷を追うだけでドキュメントとなるのに、ね。

安静の怠獄

どこかで聞いたような音読み、アンセイノタイゴク?<安政の大獄>。それとは意味が大違いで、安静を余儀なくされ、怠惰にも獄中にいるかのような気分で過ごしている日々、をタイトルは意味しております。

 

本来なら、小室直樹著書を読むべきなのに、なぜか司馬遼太郎胡蝶の夢』なんぞを読み進め、はぁ〜、今の日本は江戸期の身分制度によって形成された、かのごとくの推論に大いに共感するような事態に。

 

昨夜午後9時頃、杉並震源の直下型震度2を体感した後、およそ30分後に熊本の直下型大地震発生、いつ、なにごとに襲われても仕方ないニッポン列島、安静が解かれるのは来週半ばとの診断、DoItの優先順位を整理しておかなければ。

耳の力

日本語は難しいと思う。端的に言えば、<話し言葉>と<書き言葉>という2種言語によって成立している(ほかの、外国の言葉のことはよく知らない、笑)。かつて東大出の優秀な作家さんで秋田実さんという方がおられた。もうずいぶん前に亡くなられたが、万歳という芸能を漫才というモダンな芸能に塗り替えた人だ。漫才の台本を書いた初めての人でもある。だから、<話し言葉>を<書き言葉>に置き換えたり、逆をしたりという言葉の練達者でもあった人。

この秋田先生が、漫才は論議やつじつまが飛躍しなければならないと指摘しています。そうですわな、かつてのヤスキヨなんぞはそのへんが革命的でした。その飛躍の鮮やかさこそ漫才の本領、だというのです。ラジオで漫才を聞いている人は、毛糸編みの編み目を数えながらでも聞くことができる、というたとえ話を持ち出し、耳というものは言葉についてそれほど許容量の大きなものだ、「耳はバカですから」という名言を残しております。おなじ著書で、秋田先生は目については「目はそうはいかない。実に煩い」といっております。テレビの草創期の話ですが。目の話はおいとくとして、耳の話。<書き言葉>は非常に読みづらいものです。ところがこの<書き言葉>を音を出して読んでみると、意外にも情景やイメージが沸き、言葉の意味を理解しやすくなります。で、個人的にラジオの魅力は、漫才の魅力と同様、音だけで勝負する、そこにあると思っています。

オープニング がビゼーカルメン組曲第1組曲より Aragonaise(アラゴネーズ)、途中はベートーベンの ヴァイオリンソナタ第5番や交響曲第7番 、エンディング が再びカルメン組曲第1組曲より Les Toreadors(闘牛士)という音曲に彩られたラジオの番組が始まった。目下、首都圏民放ラジオでいちばん注目を浴びている番組で、こんな長い前置きをしなくても周知の事実だからとも思うが、こういうのを毎朝聞かされる(別にチューニングする必要はないし、ラジオのスイッチをオフにしたっていいのだけれど)ことになるとは思ってもいなかったので、すごいダメージ受けてます『伊集院光とラジオと』。秋田先生は「耳はバカですから」とはいうけれど、伊集院光のラジオ力(彼は書き言葉をイメージし、それを瞬時に音読みできる特異な才能を持っていると思う)はハンパでないので、仕事をするのに支障が出ます。