ナブンデアレ

菊池成孔の粋な夜電波2月11日朝の回をradicoのフリータイムサービスで聞きながら、月刊誌『文藝春秋』3月号の保阪正康浜崎洋介両氏の対談を読む。いずれも、西部邁氏追悼がテーマだった。菊池成孔はニュースを聞く数時間前に西部氏の番組の最終回を見ていたそうで。その回の最後に「これにて、ご免」といい放ったこと、同回の西部氏はいつもは白の手袋を着用するのを、片手は黒の手袋だった、つまりは一方が白、片方が黒、喪を象徴していた、というのだ。


この指摘が的を得ていたものであることが文藝春秋誌の対談で見事に証明されている。すべてが覚悟され、すべてを企図し、精神の自立を貫くために、実践された、というのだ。これ以上は語らない。しかし、三島由紀夫の市ヶ谷事件と同等の意義のある今回の<事件>について扱うメディアもなく、故人とあい付き合った思想家、文人の類いが無口なのが気になる。


菊池成孔西部邁氏追悼の最初にかけた曲、チェコのシンガー、ニコル・ブノウの「ナブンデアレ」が西部氏の最期の姿を、爽やかに象徴していると感じたので、購入してライブラリーに。

気になる女性たち

最後の大仕事を終えたことを受け、一つのヤマを超え、先週木曜日には、打ち上げも賑々しく行われ、まるで傭兵たちが一つの戦地で任務を終え、翌日からそれぞれ別の戦場へ赴く、イメージとしては、テントが点在する戦地で、たき火の周りに6名の傭兵、骨付きチキンを焼きながら、ホーローのコップでウイスキーを飲む、一緒にこんな酒盛りができるのはこれが最後になるかもしれぬ、それが傭兵の常、そんな夜、でした。


てなことを考えている間に、月は2月に突入し、あっという間に立春を過ぎてしまった。東京に2度目の雪が舞うが、前回ほどではなく、前回の残り雪さえ消してくれたのは功績大なものだった。まだまだ、寒さは続くようだが、今日など日差しには心なしか春の強さを感じさせてくれる。


さて、以前から、正確に言えば昨年の夏頃から、TBSラジオの堀井美佳アナウンサーが急にブレイクしたなという私的には刮目する現象を楽しんでいるのだが、久米宏との「ラジオなんですよ」に始まり、竹中直人との「月夜の蟹」、ジェーン・スーとの「生活は踊る」(金曜日)などキャラクターの異なる相手に誠にインプロビゼーションを繰り出してみせる技は聞き物。さらにソロでも境地を開くのは「生活は踊る」内のコーナーコンテンツ、「水音スケッチ」(平日12時代)におけるナレーション。


明らかに40代に入って境地を開いていった。結婚し、2児をもうけてからのブレイク、これは極めて珍しい。番組内で彼女のブレイクを指摘したのはほかでもない、ジェーン・スー。<群れない・泣かない・気にしない>の四十路、3ないトークがモットーなのだという馴れ合いの一切ないフルスロットルの番組で、ジェーン・スーの突っ込みに見事にかます天才的な天然を聞き逃す手はない。


もう一人四十路の女性で気に入っているのが、モリエ・オブライエン、だが彼女については、多くの人がその魅力について指摘しているので、これ以上は書きません。ただ、彼女のようなスタッフが居ると居ないでは、そのチームの総量に大いに影響を及ぼすことは確か。おお、ミステイク、モリエ・オブライエン、ではなく、クロエ・オブライエン、間違いに気づいたのが10日後とは、私の劣化も甚だしい。間違いついでにゴシック表記でクロエ・オブライエン

寒中につき

子供は寒さを感じないのだろうか、私の生まれ育った南信州は雪は少ないものの、寒さは厳しく、真冬は氷点下10度ほどの最低気温を記録する寒冷地、だった。昨日今日の東京地方の最低気温マイナス3度、4度などかわいいもの、のはず。寒さを感じたのは高校時代の通学時に、片道3キロほどの道のり(迂回する通学電車を降り、直線距離を歩いて寝坊した分を取り戻す、ショートカット通学法)を歩いた時だった。手がかじかみ足下が冷え、・・・、そんな感触を思い出した。


ル・グインが亡くなったというニュースがあったが、出版元各社の著者名表記がバラバラであるのがおかしかったのと、私は読もうとは思いつつも、一作も読んでいなかったことを改めて確認した。これからも、読むつもりはない。


さて、エビカンプロジェクトは大詰めで、月曜日夕刻に納品できることのメドが立った、さすが、仕事人、私を除いた強者5名のなせる技。たぶん、このメンバーで仕事をする機会は今後はないと思う。そういう時代なので。慈しむように、私はこれから週末を<最後のチェック>に時間を割くつもり。

プカプカ2

現在、午後1時前ながら、すでに予報より早く、我が家の庭は雪が積もりつつある。9時過ぎにかかりつけ医の診療所に行き、心電図、血圧、脈取りなどの検査を行った際には、小雨状態だった。


神保哲生さんが、追悼と冠して神保・宮台のマル激トークオンデマンド第307回ゲスト:西部邁さん(2007年)の番組を無料アップしてくれたので、哀悼の気持ちを込めて今、見終わったところだ。なぜか私は西部さんの語り口を好んでおり、話している内容もよく理解できる、そういうタイプの数少ない知識人だった。


一度、フライト中に、赤坂から玉堤までの道のりをおよそ30分ほど、ご一緒させていただいた。5年ほど前の夏の深夜だった。お酒を飲んでややご機嫌だった。始終おしゃべりが続き、私は相打ちを打つだけだった。目的地に着くと、上着のポケットからやおらタバコを取り出し、外に出て吸い始めた。私も外に出て、タバコをご一緒した。結局、3本続けるチェーンスモークとともに貴重なお話の続きを伺いうことができた。何より、タバコの吸い方の絵になる方であり、タバコを携えながら語る論法鋭いところに西部さんの真骨頂がありました。


最後まで<言行一致>を貫き、見事でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

ブルボン王朝

昨年の春以降、私の行動範囲は自宅から渋谷、恵比寿、目黒を結んだ範囲を超えることはない。というか、それ以外の町へ行った記憶がないというのがホントのところ。学芸大学さえ、至近距離なのに、足を運んでいない。そんな行動範囲で、世間というものをつかもうとしている。


しかし、映画を見ていると、世界各地へ旅をしているような気分になり、例えばクリント・イーストウッド監督の作品『ヒアアフター』を見ているとアメリカ(サンフランシスコ)、、フランス(パリ)、イギリス(ロンドン)に登場する3人のドラマが同時進行で進み、最後にロンドンで3人が遭遇する、少なくとも3つの文化圏の物語を追ううちに3都市を旅した、ずいぶんマイレージを稼いだな、そういう気分、わかりますよね。


だから、映画見ている限り、世田谷の隅っこに引きこもっている感じ、全然しないんです。振り返れば、去年はずいぶん旅をしたな、南極だって行ったからね、アイルランドにもずいぶん肩入れしたな、スペインのカタルニア問題も世界史で習って以来、久しぶりに、ブルボン王朝という語句も思い出したし。


今年も冒頭のルーティンエリアから脱出できるのは、春が来て、5月の連休を前にしたあたりを目標にはしていますがね、ああ、そうだ、後2ヶ月もすれば桜が咲き始める、で、いつものように、桜が散っていく、そういうのを見られる、んだね。昨日からの気象予報士の常套句、「明日は4月上旬、桜が咲く季節と同様の気温となります」ってのをさんざん聞かされてどこかさめる気分がわいてきたので、したためてみました。

2018年問題

私の2018年問題、昨日の「久米宏のラジオなんですけど」のテーマでした。そろそろ正月も半月を過ぎ、個人的に今年のテーマを掲げて、それに対する戦略を練る、などというタイムラグあり過ぎのライフスタイルで今年もやり過ごそう、そう考えている今日この頃。昨年が昨年だったので(自分だけしかわからない言い回し)、大江健三郎さんに頼ることなく、今年は大きなテーマと細かなテーマを自らに課し、ナンとか生き延びていこう、と。


大きな体積、質量をもつモノをできる限り身の回りに置くな、という家人からの厳命をいただいている私は、昨年11月、<広辞苑、10年ぶりの改訂>というニュースを聞き、紙媒体としての『広辞苑第六版』を仕事場に移動し、iPhoneにアプリ<第七版移行版広辞苑>を導入しました(8500円という高額でした)。


12日の金曜日、紙媒体の『広辞苑第七版』発売のニュースを聞き、はたとアプリの方、第七版に移行するのかと何度もアクセスしては<第六版>のままなので、岩波にだまされたか、と落胆し、週があけたら岩波に電話して文句言おうと、日付変わった土曜日午前3時、自宅に戻り、寝る前に充電器にかけようと。そのとき、アプリのアイコンが点滅しており、よく見ると、『広辞苑第七版』と切り替わっておりました。岩波書店さん、疑って申し訳ありません。


昨夜は、わがかかりつけ医とPTさんと夕食、ひとえに私の心身を支えてくださるチームのような存在で、3日夕刻のダウンを機に、あらためてこの乱高下の激しい冬場をどう乗り越えるかという崇高な課題があるのに、そのテーマについてはほとんど触れず、ポストトウルース的なとはいえ、この世紀に入ってからパラダイムは変わっていない日常の満ち潮引き潮についてをたどる話題、要は「こんな面白いアプリがあるよ」ではなく、「こうやって自分をアプローチさせていくと、このアプリ、結構、面白いデータを出してくる」的な、そんな話に終始し、2時間余りの<濃密>。こういう積み重ねのできるチームを頼もしく思った次第で。それぞれの2018年問題、うまくいきますように。

毀誉褒貶

昨日の記事についての補足、というか賛否両論かまびすしい<星野仙一論>について。自分でその現象を解析してみればいいじゃないか、と言われるのはわかってはいるのですが、今の私にはそれをやっている余裕がないのです。いつになるか、必ずやります。やらないと前へ進めないテーマでもありますから。

 

 偉愚庵亭撫録(小田嶋隆さんのブログ)に『鉄拳への挽歌』と題する文章が掲載されています。これはクールな星野批評として秀逸です。一方、星野賛美の中でも現役選手として接し、以降球界とは距離を置いている愛甲猛氏のインタビューをもとにした構成のビジネスジャーナル紙、『愛甲猛が震えた星野仙一さんの壮絶な怒りと優しさ・・・パイプ椅子を壁に突き刺し、溢れる愛情』という記事(まとめたのは小川隆行)はタイトルの陳腐さとは裏腹に、内容は愛甲氏の人間性がにじみ出ていていい。

 

なお、愛甲猛氏については現在、日刊スポーツ紙に『野球の国から』という高校野球を題材にしたコラム(大河連載)で高校球児としての異端ぶりが紹介されており、これはすごく面白い。