面従腹背

この言葉が、先週来、キーワードになっている件については、世情に疎くなっている私でも辛うじて承知している。

 

前回の更新の頃、すでにわが身体は50年以上にわたってわが身体に潜伏していたウィルスによって侵されはじめていた。右前頭部に痛みが走り、頭髪内部になにやらかゆみを発するできものができている。

 

先週半ばにはその痛みやできものが額、右目、頬と広がっていた。家人が「ひょっとしたら、タイジョウホウシン、かも。皮膚科、探すから、行ってきたら」と提案されると、内心、痛みがどうにかなるのなら行こうか、と出かけた。10人ぐらいの待ち合う人々のなかに紛れ込んで、1時間待つのかな、2時間かかるかな、と思ったが一人あたり3分ぐらいで診察室を入れ替わっている、30分ほどで診察室へ。

 

私がいすに腰掛けるやいなや、「帯状疱疹です」「症状はいつから?」「このパンフレットに詳細が書かれています」「患部を暖めるのがポイントです」「一週間後に血液検査してウィルスがどの程度衰えているか、確認します」、ジャ〜〜〜ン、はいこれで一丁できあがり、初診でしたが、やっぱり3分前後でした。私なんて、こういう町医者、尊敬します。処方箋によると、いわゆる抗生物質による化学療法、補助剤は鎮痛剤、神経のダメージを保護するビタミン剤、それと軟膏薬。

 

帰宅して、家人に報告、早速、ウィルスとの格闘に参入(?)しました。痛みが和らいだという感触はあり、しかし、抗生物質は強力で体感としてはウィルスが目を覚まし、本格的な闘争状態に入った感。実際、腫れが膨らみ、多数の疱疹がわき出るように出来、右目をふさぎ、という展開。本を読む気力もPCを観る気力も失せ、今回の<安静生活>はラジオか、ピアノアルバムを聴くか、というものに。

 

小さい頃、水疱瘡にかかった、その時のウィルスが体内に潜伏し、その人の人生の中でもう一度猛威を振るうのが帯状疱疹だとパンフレットに書かれておりました。私の記憶に間違いがなければ、私が4歳、兄が7歳の時、同時にかかった水疱瘡、どちらかが罹患してそのウィルスがどちらかに移した(W)のでしょうね。その兄は、2度目のウィルス罹患を経験せず、別の生命体と格闘して命を落とした。

 

と、ここまで書いてきたのは、当ブログ初めての代筆・ピンチライターである、わが同業の若い友人である。私がPCすら読めないのなら、と「来るな」というのにやってきて、代筆を申し出て、いわゆる<口述筆記>をしているのである。この患いに陥っていると聞くや、お見舞いと称してわが惨状を確認しに来たのである。現状、<お岩さん>状態を観て、最初の表情に<え?これがあのひと?>という意味を醸し出した。自分ではまだ何が起きているか理解していない、そういう状態。

 

決して今の私が<面従腹背>であるなどと、タイトルしたわけではない。タイトルについては今の症状が回復した暁に、再度、更新したい、本日はここまで。

 

 

そもそも

<・・・結局、鬱っていうのは、集中力のある人がなるんですよ。その集中力が自分の暗い部分に集中しちゃうと鬱になる・・・> 、これは 大槻ケンヂ氏の名言。


<・・・パスポートをなくすことはたいした問題じゃない。ノートをなくすことは破滅だ。・・・>、これはブルース・チャトウィン という作家の作品中の名言。

このような名言に囲まれて5月の、というより5月というにはクソ暑い日々を過ごしております。5月の連休明けの頃には「そもそも」などという基本国語をわざわざ辞書で調べて使用しているというのに、辞書で示されている意味で使用していない御仁の空しき日本語に翻弄されている貧しき国、今年の5月の新緑はまさに人に集中力を目覚めさせるのに十分な鮮やかさであり、しかし、緑に目を奪われているうちに、鬱にならないようにケアしなきゃいけない。

<ノートを>なくすことの破滅度については熟知している自分にとって、外に出かけるときにはソフト装丁のMOLESKINEプレーン 、ウチの机の右サイドにはA5版のStalogy 、の2冊のノート。後者をなくすことはまずないと思うけれど、前者をなくすことはあり得る、出先で人様からお聞きした貴重にして希有な内容がコンパクトに、しかもニュアンスも含めて書いたメモ、あるいは地下鉄やバスに乗車中、あるいは歩道を徒歩している最中に浮かんだアイディア、覚え書き、これはなくしたくない。

最近はこのMOLESKINEに加えて、財布はもちろん、グラサンと老眼鏡、iPhone、らを携帯しており、どれをなくしても痛い事態となる。陽気の良さも手伝い、わが行動制限も徐々に緩和され、引きこもり気味の我が身に慣れない外出の機会が増えているので、要注意。

一方、この10日ほど私を捕らえて放さない、鈴木大拙というビッグネーム。とりわけ最初に取り組んだ著作、『日本的霊性』について、大地性、莫妄想、無分別智というキーワードを中心に学びのメモをStalory に8ページ。今、読み返しても興味は尽きない

少しだけ、前へ

世の中は、GWとか大型連休というものが今日で終わるようだが、曜日のない日々を過ごしている身としては、変わらずに、マイペースで4月から5月への推移を楽しんでいる。

年に正月三が日を休みとしている多忙を生業としている家人でさえ、この10日ほどはペースダウンして余暇を楽しんでいる。4日には二人でホテルオークラ裏にある菊池寛実記念智美術館で開催中の<篠田桃紅〜昔日の彼方に>を観に行った。100歳を超えてからの新作を観られ、ある種の奇跡を鑑賞した感。

2年をかけて<司馬遼太郎全集>を読み切った家人のオファーで「何か読むものはないか」と言われるので、アマゾンで探していたら<司馬遼太郎短編全集>というのが文芸春秋社より出ており、3月末購入し読み始めた家人、全12巻のうち、もう4巻を読破してしまった。<断捨離>を旨とする家人にとって、先の<全集>を私がしかるべき価格で売った後のスペースをうまく活用して収めるだろう。この一連の司馬遼太郎の作品に頻繁に扱われるのが大坂とその周辺、この地域についてユニークにしてグローバルな視点で論考した中沢新一の「大阪アースダイバー」、これを私が熟読している。


中沢新一といえば<・・・『ボレロ』を聴くよろこびは、2の原理と3の原理、シンメトリーと非シンメトリーという、現実の世界ではめったに和解しあうことのないモデルどうしが、「この世ならぬレベル」で(中略)、調和や対称性を実現しているのを知覚することによってもたらされる、幸福感に根ざしている。・・・>という腑に落ちる箴言を思い起こす。

映画では洋画で「ニュースの真相」、邦画で「お父さんと伊藤さん」という2作の佳作に遭遇した。まさしく、2の原理と3の原理を象徴とする2作、後者はとくに、藤竜也リリー・フランキー上野樹里の快演が作品の微妙なニュアンスを活かしていた。

昨日は知り合いの紹介で、我が身にはじめて針というものを刺すという体験をした。いわゆる<鍼灸師>による施術。体全体がポカポカと温かくなり、全身の血の巡りがよくなることを体感、部分のしびれが消えたのは不思議。いきなり治癒することはないものの、少しずつ改善していく、という指摘に納得。

なんとなくではあるが、少しだけ、前へ進んだ実感を持てた、わが黄金週間、ではありました。

悪鬼羅刹な・・・

悪鬼羅刹な4月、と1月の更新で書いたが、辞書で調べなくても、<悪鬼羅刹>などという言葉はない。しかし、この21世紀にあって、何が起きても不思議でない地球上、分けても、この狭い島国に暮らしていると、本来、花は咲き、葉は新緑が彩り、若者たちが社会に進み出ていく、かつてあった清新なイメージをなつかしく思い出すが、今、気象も社会構造も<異常>というほどのカオスを呈しており、人々はその対応(アジャスト)に汲々としている、それが現状。

私とても、先々週末の花見行幸において、調子に乗って、8000歩も歩いてしまい、週明けのかかりつけ医との診療において、「こりゃ、無理筋、ですよ」とダメ出しされてしまった。で、その際、「PT、つけますか」と医師に提案されて、「PT? あ、知り合いにおります」ということで、今週月曜日、3人でカンファレンス。20年来の旧友であるPT氏がいわゆる<生活指導>を担当することとなった。知人としての彼は穏やかな実能家であったが、担当PTとしては私に厳しかった、当たり前だけど。数々のチェックポイントをリストとしてプリントアウトし、実践するように指導された。唯一、寛容であったのは<喫煙>を控えめにすること、暗に<自己責任>ですよ、と。有酸素運動を控えて、筋力を保つためのエクササイズを少量ずつ多種目、連休明けまでに目標値を達成するために一昨日から実践しております。

幸い、生業とする仕事がフィジカルではほとんど消耗を要しないデスクワークなので、問題ないが、生きがいとしていたフライトという余儀を全うできないのが痛い。現代の実状というファクトを察知するのに、とても有効なフィールドワークなのだが、しばらくは限定的にせざるを得ない。早く、魑魅魍魎の5月が訪れることを切望する日々、です。

サクラ

3月22日にお役所が東京に「ソメイヨシノ開花宣言」をしてから3週間、いまだ、東京のあちらこちらにソメイヨシノは「咲き残って」おります。先週末、家人と話題の<中目黒>へ花見に赴きました。とてもじゃないけど、花見ではなく、人見するしかないという次第で急遽、中目黒高架という交差点より、目黒川でいうところの下流に移動しました。こちらは、歩道にほどよく人が行き交い、結局、雅叙園まで歩き、川の両岸の桜を堪能しました。

今日現在も隣家の庭の桜は散らず、少しだけ葉が出てはいるものの、一昨日昨日の雨や風にも耐えて、散らずに残って、見事です。これだけ桜を少しずつなが〜く愛することのできる年ははじめて。気象のなせる技でありましょう。

桜と言えばサクラソング、今年の白眉は半崎美子の「サクラ〜卒業できなかった君へ〜」。開花宣言の直後に『うた弁』という彼女の初めてのメジャーリリースをダウンロードしました。何回聴いただろうか、100回ではきかないと思う。これまで聴いたことのない声質、当該曲以外にも安定したバラードの完成度が高く、安心して聴ける以上に、深みのあるパフォーマンス、さすがにインディーズとして聴衆を前にしてのライブを重ねてきた、いやな言い方だけど<たたき上げ>た歌唱、です。ソングライターとしても、歌詞も曲も成熟しており、オリジナリティにあふれています。久々に登場した逸材です。

さて、映画は時折見ているものの、あまり偏ってはいけないという自分の中のライフバランスみたいなものが働いて、先週あたりから読書に舵を切った(笑)。それも珍しく新刊>を購入、『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』(手嶋龍一著・マガジンハウス)。情報の時代の世界潮流という触れ込みで、個人的には好きな著者ではないのだが、マターの扱い方を評価して読んだところ、面白い、こういうの今の時代の本読みは待望しているのだな、と。その関連で、早川書房からジョン・ル・カレの自己回想録『地下道の鳩』が先週発売されたので、これをこれから読む。

至福&耳福

いつの間にか、一年の4分の一が経過しており、昨日はフール・オン・ザ・ヒルならぬエイプリルフール、一年前のこの日の朝、「ああ、自分の人生の終わり、なんてこんなものだったのか、早いような、でもそれなりに長かったかな、まあ、自分なりによく生きたよ」とわずか2、3秒の瞬間に思ったこと、頭が白くなり、胸にわずかな鈍い痛みがあり、意識が緩慢に薄れていく、そんな臨死の縁を垣間見た、そんな経験を初めてした、そんな<記念日>でした。

だから、先週の年度末ウィークは殊更に寒かったこともあり、多忙な中、非常にムリをしないよう自重に自重を重ね、ナントかトンネルを抜けたような気分です。

多忙もあり、このところ傾注していた映画を見ることもなく、本を読むこともなく、ちまたで話題の坂本龍一プロフェッサーの<新譜>を聴くこともなく、強いてあげれば、ラジオにハマっていた、と言うべき一週間であったかもしれず、やはりラジオというものの魅力は計り知れないと実感させられ。

その中でも2つ。一つは開局65周年を迎えた文化放送の特別番組(3月30日、木曜日の午後6時から9時)であり、イタリアのアルバという町で2人の神父のやりとりから始まった、という開局ストーリーから、この65年の間に<デンスケ>という機材を肩にしてラジオのスタッフがいかにその時々の<現場>を取材したかというドキュメント。学生時代、三島由紀夫が市ヶ谷の防衛省でことを起こした同じ時間に私は、当時本局のあった文化放送の見える四谷・若葉町でうごめいていた立場として、興味深く聴いた。

もう一つは、この<番組改編期>にいくつかの番組が終わり、いくつかの番組が生まれてくる時期であり、「新たな話術」が登場した番組に立ち会いました。3月28日午後9時からTBSラジオにて「神田松之丞ひとり語りの一時間」という至福、耳福な番組に遭遇、4月2日午前0時半からの30分間、「神田松之丞問わず語りの松之丞」という3ヶ月限定レギュラーの初回につながった。<話術>の確かなる<話芸>の才人に出会えたというのは至福&耳福、なんですわ。

五分咲き

冷たい雨がしたたる降り、ブラックに近い気分の月曜日。昨夜の大相撲大阪場所における稀勢の里の熱闘が遠い昔に感じられる事業年度最後の週初め。

 

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我が家の桜は、先週の火曜日の気象庁による<東京で桜開花>と時を同じくして開花し、順調に五分の咲きよう。この蕎麦猪口に植えられた桜は、種を<雲母>と言われ、昨年7月にバザーで入手したもの。その時は、きれいな緑の葉に覆われた状態であり、秋には枯れ葉となって朽ちたかの錯覚を覚えるものの、枝は細いものの、見事に冬を乗り越えた。3月初めに<芽>らしきものが確認され、先週火曜日に見事に開花した。

 

ところで、都内の桜(ソメイヨシノ)は一向に開花していないように見えるのだが、まあ、気象庁を責めるのはやめよう。先週末、お花見を予定した善男善女たちには同情を禁じ得ぬ、が。