BOSCH

stoneが、私が留守の間に、バージョンアップされていた。まだ、どこがバージョンアップされているかは不明だが、私の文章書きはこのソフトなくして成立しないから、ずんずん書く、しかない。

 

J「これ誰のアルバム?」
H「マイルス・デイビスの<バグス・グルーヴ>」
J「いいね、曲名は?」
H「<ドキシー>、ソニー・ロリンズが書いた」
J「詳しいな」
H「少しは」
J「最近の音楽は?」
H「昔ので手いっぱいだ」

 

こんな会話がステキで、アマゾンオリジナルのドラマ『BOSCH』を連休明けから一気見している。シーズン1〜5各10話、2度目見のシーズン3、といったところ。2度目見していると、最初回で見逃した点が多々あり、味わいが増す。

 

上の会話のJは主人公・ハリーボッシュの相棒、ジェリーエドガー、Hはハリーボッシュモダンジャズとりわけブルーノートが大好きなロスアンジェルス署の敏腕にして敵の多い刑事。捜査に出かける車中での会話が上、その他、カット割りが短く早い展開ながら、冗長な印象を受けるゆえん。当たり前ながらシナリオがよくできている。

 

その他の脇役も名優ばかりだが、個人的に思い入れているのがハリーの娘マディ役のマディソン・リンツ。わが娘(実際、いない)のようにかわいいのだが、演技も若いのに侮れない。シーズン6が年内に配信されるらしい。待ち遠しい。

 

ところで、もう一つ、ビジュアル、シーンとして重要なのが、主人公の家。ロスアンジェルスの町並みを見下ろすことのできる、ロスの高台(あるいは崖っぷちと表現した方がいい)にか弱そうにみえる梁で支えられている。自分の手がけた事件について、小説化、あるいは映画化された(このBOSCHそのものなのだが)際の原作料で建てたというほのめかしが底流にある。

一生のお付き合い

2年前の今頃、発症した帯状疱疹、予後を誤って(多くは初診の皮膚科の誤診、だろうけど)、帯状疱疹神経症をいまだに患っている。右前頭部、右額、右目近辺、右頬の近辺、体感的には痛点は徐々に頭部から下がっていき、今、右目近辺。

 

病んだ神経は徐々に、緩慢に回復していく、といわれているが、まれに回復不全で一生のお付き合いを強いられるケースもある、らしい。

 

何人か、帯状疱疹を患った方のお話を聞いた。すぐに直った方、私と同様2年以上煩った方、また、知り合いの方に帯状疱疹で顔をゆがめたとか、帯状疱疹で別の病と併症して亡くなった方がいつ、というお話も。

 

幸い、私の顔は大きくはゆがんではいないし、今すぐ死に至る気配はなさそうだ。3年以内に神経症状が消えたというお話もあり、一生のお付き合いになる覚悟を持ちつつ、3年以内の快癒を祈りつつ、日々を過ごすしかない。いい音楽、いい文学、いい映像らを友にして。何かに集中していれば、つかの間、症状を忘れられますから。

帰り道

いつの間にか、風薫る五月になだれ込んでいた。この間の日本という国の<狂騒>ぶりにはうんざりしていた。レという語もネという語も私は決して使用しない。その理由についてはっきりしているものはあるが使用しないと宣言しているのだから、理由を述べるいわれもない、と思う。

 

久米宏がいい、いい、と薦めるものだから、ついネット配信の東テレの深夜ドラマ、『きのう何食べた?』というのを観た。内野聖陽西島秀俊がゲイカップルとして、その日常を食を中心に描いている、実にシンプルで、しかし、内野聖陽が役回りとしていかにもゲイであることをオーバーに演じる芸風(笑)とそれを突っ込みとしたら、西島秀俊はひたすら淡々と料理を作り回るボケとして、これは日本のドラマとしてはある到達点に達していると思う。

 

オープニングに流れるOAUの『帰り道』という曲がドラマと相まってこちらに入ってくるので、ダウンロードして最近聴きまくっている。

美は乱調にあり

隣家の桜も、ようやく花びらが散り終え、・・・などと書いたところで、もう一度確認のためにベランダに出てみて確認したところ、2本ほどの高い枝先にまだまだ見事な花びらを携えているではありませんか。

 

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今日は4月の21日、東京の桜の開花を気象庁が発表したのが、3月21日だった。なにやかやで今年の桜はほぼ一ヶ月におよぶ「ロングラン」、2019年の桜は「ロングラン」であった、と記録と記憶にとどめておこう、個人的に。

 

3月、いや1月、2月も同様に気温の乱高下がありました。しかし、桜はみずからのDNAにしたがって、みずからの一年を構想します。秋に葉を枯らして落としてから、冬の間にどうやって開花し、どんな色づきを示し、その先の散り際、そして葉を、新しい葉を息づきさせるか、気温や風、雨らの自然環境とどう折り合いをつけるか、日々、根から幹にかけての集中頭脳部位において反応する、そういう<生き物>だと思います。

 

今年は、集中頭脳部位の活躍のしがいのあるシーズンでした。桜は本能的に<美は乱調にあり>を熟知した樹木なのですから。こういう桜を見せてくれてありがとう、そして、お疲れ様でした、そういいたくなるものでした。

天文学者の死

最近、メシエ87(M87)と呼ばれる「巨大銀河」の中心にある超巨大ブラックホールの姿が捉えられた、というニュースが流れた。


<我々は太陽系サイズの物体の画像について議論しているということ。それを5400光年離れた場所から見ている>、<相対論的ビーミングはドップラー効果のようなもの。ドップラー効果によって、近づいてくる救急車のサイレンは高い音で聞こえ、走り去るサイレンは低く聞こえる>、<光速に近い速度では、地球に向かってくる方向に動いている物質は明るく、青く見え、遠ざかる物質は暗く、赤く見える>、<ブラックホール「いて座A*(エースター) 」は、我々の銀河から2万6000光年離れたところにある>、<仮想の電波望遠鏡「イベント・ホライズン・テレスコープ」は世界中の電波望遠鏡をつないで作られた。世界の8つの電波望遠鏡をつなぐことで、地球サイズの「仮想」の望遠鏡として機能することが可能になった>、・・・。

 

私にはちんぷんかんぷんな表現ばかりだが、このブラックホール撮影に寄与した日本の天文学者がおととい、亡くなられた。そういうニュースが流れた。ちんぷんかんぷんなりに、宇宙の壮大さやちり、クズ、ガスなどが高速度(光の速さに匹敵する)で行き交う様を想像することはできる、なんとなくだけど。

 

そして、私のような地球に生息するクズ人間の存在がいかに小さいかということと、その天文学者が挑んだ75年の宇宙研究が<宇宙で起きていること>を画像や動画で確かめられるようになった、そういう彼我についてはよくわかる、それがいいたいのです。

いやはや、な気温差

このあいだの日曜日の正式な最高気温は不明だが、神宮球場の外野スタンドに座っていて、「ああ、半袖Tシャツ、着てくれば良かった」と実感した。長袖Tシャツの上にフロントジップフード付きのスエットを着ていた。そのまま、<暑さをしのいで>球場を後にして、ゆったり渋谷まで歩いた。


たぶん、近年においての歩行最長不倒距離、だろう。青山通りを外苑前から渋谷まで歩く、北青山三丁目などというオシャレな街の裏にあった四畳半、風呂なしトイレ共同、というアパートに学生時代に住んでいた身としては、当時はデフォルトの<行動範囲>だった。

 

基本的に、青山通りは当時と町並みは変わっていない、店が変わったり、建物が縦横に新しくなったものはあるが、それ以外はほとんど変わらない。そこがこの界隈の魅力でもある。今はもうない出版社があった場所に建てられたベルコモンズが今、改修中である、といった具合に。

 

青山ブックセンター本店、のありかを探して歩いた、というのも真相である。確か、外苑前の交差点近くにあったと思い込み、近辺をウロチョロ。iPhoneで確かめたら、そこは撤退して、青学の対面にある、国連大学の裏手にある、らしい。そういうわけで、青山通りを渋谷に向けて歩き始めた。

 

かつて、植草甚一さんが渋谷から青山通りを古本屋を漁りながら赤坂見附まで日常的に歩いていた、そういう<昭和>の文化的行動について思い巡らせた。青山ブックセンターにたどり着いた。ずいぶん奥に潜んで鎮座していた。これが<書店>の現実なのだろう。木村伊兵衛の文庫、ハヤカワポケミスを一冊購入。宮益坂の喫茶店に入り、拾い読み。

 

神宮での野球観戦が1時から3時半、それから上記のような行動をして、5時45分に渋谷駅に到着、家人と待ち合わせて夕食、そんな日曜日ののどかな思い出がかすむように今朝から冷たい雨が降り、気温差が15度とは、いやはやな4月が続行中です。

花の山

前からおよそこのあたりに、と予定をしていたので、日程を急遽変えることは不可能だった。日程を変えるのには訳があった。あ、そうそう、何の話をしようか<主語>を欠いていた。南信州への旅、というかまあその帰省である。

 

一週間前に南信州の気象予報をみていたら、最低気温が3度だ4度だとあった。摂氏ではないマイナス(零下)である。最高気温は6、7度、ほぼ冬場の気温だ。一方、桜は開花している、という。

 

えい、やっと出かけてみた。寒かった。真冬だった。しかも私が現地に降り立ったときからその寒気は舞い降り、今日出発するとき、その寒気は抜けていた。多分、私の行いのせいだ。それぐらいの仕打ちだった、自然というやつは。

 

しかし、寒い4月の始まりだったが、景色は春のそれだった。行きも帰りもバスの車窓からは山の斜面に春の先駆けの雰囲気があった。新緑には遠く、全体がぼやけている、春独特のモヤッとした感じがよかった。

 

現地で久しく連絡しなかった一回り年長のいとこに電話を入れてみた。私からの連絡を待ち、私が連絡しないものだからこの半年、家に引きこもっているというのだ、悪いことをした。おかしなたとえだが、この方とは例の投資家(株をやる人というほどの意味だが)の常套句、<人のゆく 裏に道あり 花の山>について、いわゆる、この句の裏読み、裏の裏、について話すことを常にしてきた。

 

わかりにくいたとえだった。しかし、なぜかこの方とは、30年ほど前から懇意にしていただいているが、その初会合からずっと、このテーマで話し続け、話は途絶えないのだ。会えば、1時間のはずがあっという間に3時間たっている、そんな感じなのだ。あ、今頃思い出した。二人はリアリズムで話すのではなく、「世界はそもそもどうなっているか」、いわゆるオントロジーを二人にしか通じない語り口でくっちゃべっている、かっこよくいえば、それ。

 

次回(来月を予定)行くときには会うことを約束した。電話など、どこからでもできるのだが、現地でするのと東京からするのでは、違うのだ。そういう微妙さをお互い知って、夢中になって話す。そういう時間が、少なくとも私には貴重だということを改めて知った。

 

南信州の桜は、まだ3分咲きというところ。宣伝するが、この南信州は桜の名所だ。高遠の桜が有名だが、少しだけ南に下ってみることをおすすめする。枝垂れ、並木、老木の桜の名所にふさわしい銘木をすべて揃えている。ただ、南だけに花の時期が少し早い。一方、東京の桜、ほぼ満開、隣家の桜は八分咲き、この週末までは楽しめそうだ。