空の奥処

『曇天記』、3回読み終えました。しかし、まだ手放す気になれず、ほかの書物に手が伸びる気配もなく、ポツリポツリと拾い読みを繰り返しております。


外出する際にも、必ずバッグに収め、バスや地下鉄や、コーヒーショップなどでバッグから取り出し、手に取り、読み始めます。まるで、この一冊にちりばめられたすべての文章の一つひとつを我が身に血肉化することを目的にするかのように。


中原中也の『在りし日の歌』、その中の「曇天」が発想の元になったことを知ったのは2011年3月11日の<未曾有の惨事>。紋切り型の口調、それを口にする人々のふるまいのいびつさ、表現の水位の、あと戻りできないほどの低下を前にして中也の<黒い 旗が はためくを 見た>を思い浮かべたと著者はあとがきで書いている。


そんな「曇天思考宣言」とでも呼べるあとがきを1回目読んだとき、私は南信州にいた。そのときも、この書物だけを携えて東京を離れた。2年ぶりの南信州のわが家の窓といえる窓を開け放ち、濃密な深夜に読み進めながら、風を、空気の流れを浴びた。


翌日、前日の快晴とはことなり、空は曇天に変わっていた。その際の、空をiPhoneに収めた。私なりの<空の奧処>を見つめていきたい、と考えながら。

 

 

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6月12日、シンガポールでのアフェアについては、ロイター通信のPeter Van Buren 記者の書いた記事が秀逸でした。

舟を漕ぐ

ようやくにして、『引き揚げ三部作』(後藤明生著)を読み終え、本日、あらためて青山三丁目の<青山ブックセンター>まで足を伸ばし、待望の堀江敏幸著『曇天記』を購入、もとの道にたどり着きました。もっとも、この間に半日かけて『久米宏です。』(久米宏著、世界文化社)を読み終えているし、『引き揚げ三部作』を読み終えるのに、ザ・ベストテンニュースステーションの時代を感得することが必要だった、との印象もある。


そうこうしている間に、西城秀樹星由里子らのわが世代にとってのビッグネームの訃報に接する(の、が多い、のの多用、連用との指摘がわがテキストエディットでピーピー警告されており)、星由里子が澄子役で登場の作品で、父親役をしていた有島一郎という役者のイメージが噴出してくる(ああ、やはり書き言葉では、接続詞のは重要)。


昭和を語る、とかいうくくり方が大流行だが、どうもその<昭和>というのは、昭和30年代から平成の初めにかけてのことを言うらしく、釈然としない。昭和一桁から20年まではちょうど今の世の中のような時代が勃興し、昭和20年8月9日以降は『引き揚げ三部作』で描かれるような<空虚>が横溢した時代で、そのいずれをも含めての時代が昭和という総体で、とてもではないが語り尽くせるものではない、はず。


最近(これは平成20年代から今年までを限定するのだが)、これほど書評に取り上げられる新刊は珍しい、『曇天記』。いやな空気や、いやなニュースに接するよりは高邁な曇天世界に漂うべく、逃げ込もうと思う。久米宏が最後の一行で述べていた。<乗りかかった舟は漕がなければならない>。

38度線、イムジン河

1970年代、天才的な編集者と業界が認めていた塙嘉彦さんが編集長を務めた文芸誌『海』に出会った。以降、塙さんが白血病を患い、45歳で夭折(1980年)するまで、毎月購入し続けた。


サミュエル・ベケット 「名づけられぬもの」、アラン・ロブ=グリエ 「囚われの美女」、A・カルペンティエールバロック協奏曲」、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ 「海への回帰」、ガブリエル・ガルシア=マルケス 「愛の彼方の死」、ミラン・クンデラ 「失われた手紙」、ジョン・アーヴィング 「インテリア・スペース」、金芝河 「大説『南』」、ドナルド・バーセルミ「バルーン」「ガラスの山」「父の泣いている風景」などの世界(?)文学や、武田泰淳 「富士」、水上勉宇野浩二伝」、辻邦生 「背教者ユリアヌス」、大岡昇平ミンドロ島ふたたび」、古井由吉 「円陣を組む女たち」、塩野七生 「海の都の物語」、吉本隆明 「書物の解体学」、野口武彦谷崎潤一郎」、水野忠夫マヤコフスキー・ノート」、唐十郎 「吸血姫」、後藤明生 「夢かたり」、筒井康隆虚人たち」、田中小実昌 「ポロポロ」、色川武大 「生家へ」、種村季弘 「山師カリオストロの大冒険」、倉橋由美子夢の浮橋」、小林信彦(文)、荒木経惟(写真) 「私説東京繁昌記」、村上春樹中国行きのスロウ・ボート」 などの綺羅星のような文章群にまみえることができた。(文献は手元にない。現在はまったく行っていないが、当時は読み終えた作品と著者名(フルネームで)をノートに書き留める、自分でも信じられないけど、几帳面な一面が私にあったのだろう、そのノートが手元にあり、こうやって日の目を見る(笑)ことができた)正確に期すと、上記の作品(および著者名)のほとんどが連載であり、そのすべてを読んだわけではなく、ノートに書き留めたのは、初出で感銘を受けた時、であり、その印象を記しているものもあるが、初出から連載の最後まで読み通した記憶はあり、結果、断片をかじった、に過ぎないのだが、当時の雰囲気では、主流(あるいは王道といってもいい)からはずれた異端に挑んだ、というわが気概はわれながら許容範囲、ではある。

 

先週の土曜日、堀江敏幸『曇天記』を購入しようと渋谷のジュンク堂へ行ったのだが、隣の棚に後藤明生の『引き揚げ三部作』(発行・つかだま書房)という分厚く重そうな書籍を目が追ってしまい、定価が5555円税別、iPhoneの計算機で税込み価格を調べると5999円、最近、アマゾンでもこんな高額な書籍を購入したことはなく、しばし熟考の末、購入。


大学時代、ゴトウメイセイと呼びつつ、これは必須図書という雰囲気が周囲にあった。私は『海』の連載で「夢かたり」を読んでいた。三部作と呼ばれる三作品は、その後、単行本になり、やがて、文庫本にもなった。およそ雑誌連載から40年あまりの歳月を経て、グロテスクな編集でなぜこの期に刊行されたのか、言わずもがな、である。


イムジン河を最初にフォーククルセダースが歌ったのは1966年だった。(原曲は1957年)ラジオでのオンエアも深夜の一部の曲にに限られていたが、レコードの発売がややこしくなった。フォークル版「イムジン河」は松山猛作詞、加藤和彦編曲。映画『パッチギ!』は松山猛原案なので、フォークル版「イムジン河」ができあがるいきさつがなんとなく、いや、鮮明に分かる。イムジン河は38度線北朝鮮側に流れる川、臨津江のこと。1968年にインディーズで発売、2001年あたりにやっとレーベルで発売。


フォークルの名曲「悲しくてやりきれない」(近い例では映画「この世界の片隅に」オープニング曲)は、1968年頃、「帰ってきたヨッパライ」のブレイク後、次を求められた加藤和彦が「イムジン河」のメロディを逆にたどりつつ15分で作り上げたといわれる。作詞は北山修ではなく、サトウハチロー。脱線ながら、映画『深夜食堂』に出てくる多部未華子が、別のドラマでこの「悲しくてやりきれない」を歌唱しているのを見て、わあ、好きだわ〜と。


「引き揚げ三部作」、非常に(重量的に)重い書籍で、一行の文字数が多く次の行への移動もおぼつかない、(装幀もレイアウトも気に入らない)、そろそろ発症から一年を経ようとするわが持病・帯状疱疹神経症が今や右目に痛点を移しもう5ヶ月になるのに収まらず、つらい読書なのだが、この書籍は今、読み終えないと後はない、そういう一心で読み続けております。半島を含め植民地支配を、ほかでもないこの日本という国が行っていた、このことを忘れないために。改竄でも隠蔽でもなく、引き揚げや残留というキーワードとともに。

マックス・ウエーバーと私

先週末は陽気にも恵まれ、課題の外出運動をそろそろと開始できました。土曜午後は家人同伴で表参道まで足を伸ばし、渋谷まで246号を歩き通しました。先ほど、かかりつけ医のところへ行き、心電図チェック、ノープロブレム、でした。


5月後半には、ここしばらくできずにいた南信州への帰省をとりあえずは一泊二日であれ、実行する、それを目標に代謝内容をあげていく、それです。


突然話題は変わるが、大学受験の学習でいちばんこだわったのが、ある予備校の名物英語講師のテキストを攻略するところにあった、ずいぶん昔の話ですが、このテキスト、現在も少ない蔵書の<最重要書籍>エリアにある。


久しぶりに手に取り、ページをめくってみたら、なんと全体の6割ほどがマックス・ウエーバーの原文で占められている。英文はシンプルながら、内容は和訳するのは簡単、しかし、当時の自分は、意味を理解していたのだろうかと追憶が怪しくなってくる。


今、読んでみて、一考して然る後に、腑に落ちる、そういう状態なのだ。昨年暮れから今日に至るまでの社会事象について、マックス・ウエーバーを引用して分析する学者の言説に接するにつけ、このテキストに引用されたウエーバーの文章が珠玉であることがわかる。このテキストを編んだ、あの名物講師には明らかに意図があったのだ。


大学に入って以降は、英語についてはほとんど触れることがなかった(大学の外国語は仏語だった。え?)。それに、私は、マックス・ウエーバーの著作は読んでいなかった。

長旅をめざして

4月も半ばを過ぎ、時の流れは尋常ではない。個人的には緩やかに流れているように思うのだが、私の耳元には「生き急げ、生き急げ」とたえずささやかれている。生き急げと言われるのはオマエの残り時間は短いのだと宣言されているのと等しく、甚だ不快に感じる。


とはいっても、ルーティンは確実に存在し、それをこなし、そのほかの時間を映画を見たりするのだが、そういう日々でいいのかと考える自分も頭をもたげてきている。鬱に近い塞ぎの感覚。


ツイッターに、私より少しだけ年少の方が、4月の頭からおよそ一ヶ月の予定で、仕事を休み、旅に出ているのだが、そのリポートにいたく癒やされている。一日にポイント、ポイントでの旅の刻印をツイートしている。ツイートとともに写真も添えられていて、何より、写真の腕が秀逸なのがインパクトを持っている。


観光地ではなく、ある地方の町から町を歩き、路地を徘徊し、川岸や海岸を歩き、写真を撮る、風雪や年月に堪えた時間を感じさせる写真は、誰にでも撮れるものではなく、その方の眼が確かだから惹き付けられる。


この方と同様に、<人生最後の長旅>を試みるにも、万全の健康体が欠かせない。かかりつけ医からは、「怖じ気づかずに、体を動かしてください」と脅しに近い助言をもらっている。明日から気温も上昇の予報、震えながら体を動かそうと思う。

静かな興奮

3月が終わる。桜が舞い散るシーンとともに4月に進む。3月は停滞の月でした。前回の更新直後の13日の夕刻、立ちくらみともめまいともふらつきともいえるような不思議な状態に陥り、ソファに横たわった。直後、帰宅した家人に伴われ、最寄りのM病院まで<歩く救急人>をした。


淡い血栓が原因と診断された。帰宅も歩きで、食欲などわくはずもなく、家人お得意の<粥>を食し、安静生活に戻った。以降、寒暖差の激しい日々をおびえて過ごす、そんな日々なのに、昨日までの日々は<静かな興奮>と称するにふさわしい日々だった。


その象徴は、『菊地成孔の粋な夜電波』。毎回濃密で示唆に富んだ番組だが、今回は自身が音楽を担当し、自ら出演している映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』に関連して、監督(冨永昌敬)、原作者(末井昭)、菊池氏とともに音楽を担当した小田朋美らの談論風発、もちろんサウンドトラックから紹介のいくつかもさることながら、・・・。


『ジャッキー』というケネディ夫人を主人公にした映画の音楽がいい、という指摘はすぐさま確認するため視聴、ジャッキーを演じるナタリー・ポートマンも出色だが、音楽もドキュメントを活かしていた。


ツイッターで知った新刊情報から『島とクジラと女をめぐる断片』(アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳、河出文庫)は、解説文『幻の燈台に向かって』を寄せた堀江敏幸とも相まって、3層の隠喩としての断片がかさなり、まさにここから全体像を探るという読書の楽しさは<静かな興奮>を呼び起こすのに十分。


堀江敏幸には先週刊行された『曇天記』というエッセー集があるが、何せ発症から10ヶ月経った病気の痛点が右目のところまで降りてきており、上記の文庫本一冊を読み切るのに四苦八苦の状態、しばらく休養してからの挑戦を期す、つもり。堀江氏個人がハマっているという台湾のフォークシンガー、クラウド・ルーの数曲をダウンロードして聴いている。

 

 

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塞ぎの、兆し

今は、一日3000歩の歩行、ゆったりとしたストレッチを6種類、・・・、がわが行動のすべて。バスで渋谷に出て、東急本店まで往復すると、おおよそ、3000歩。しかし、3月に入って、なぜか渋谷へ行こうという気にならない日が続いている。


昨日は家人と外食しようと最寄りのファミレスまで歩いて、往復しても2000歩までいかない。夜中にコンビニに出かけ、ようやく3000歩達成。今日などは、お出かけ日和なのに、出かける気にならなかった。


かかりつけ医の意向では、最低気温が10度を超えたら、5000歩にしよう、最低気温が15度を超えたら制限を緩和しよう、そういうことらしいが、暖かくなるにつけ、塞ぎの傾向が出てきてしまい、自分自身で戸惑っている。


塞ぎの傾向はあるものの、落ち込んでいるわけではない。ホリーコールのCDを聞きながら彼女の『テネシーワルツ』をテーマソングにした、ドラマ(10年ほど前の作品)なんぞを引っ張り出して、見ていた。


1話が1時間超で5話あるから、見終えるのに二日かかった。主人公の補佐役を大杉漣が演じているのには参った。彼を一流ならしめた<棒読み>スタイルをあらためて確認し、その<棒読み>台詞を主人公との絡みで展開し、さらには二人で喫煙するシーンなどを見てしまうと<たまらなさ>が募ってどうしようもないのだ。


喫煙シーンがない映画やドラマは最近10年ほどの、私にとっては新作であり、喫煙シーンがある映画やドラマは、はっきり10年以上前の作品である、そういう社会になってしまった、のですね。


さて、わが家のソバ猪口に植えられた桜、あと一週間ほどで開花しような勢いで、それから類推すると、東京の桜もあと10日ほどで開花すると、一個人の予測を。本音を言うと、「ああ、今年も桜の季節までたどり着けた」、もっと直截な言い方をするなら、生き延びたな、と。

 

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喫煙シーン、っていいよ。嫌煙という言葉は嫌いだ(笑)。『もうすぐ絶滅するという煙草について』という本が2月刊行され、それを渋谷のジュンク堂で立ち読みしていて、金井美恵子女史のエッセー(一文)に圧倒された記憶が今、よみがえってきた。あれは買わなくては。