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そもそも

<・・・結局、鬱っていうのは、集中力のある人がなるんですよ。その集中力が自分の暗い部分に集中しちゃうと鬱になる・・・> 、これは 大槻ケンヂ氏の名言。


<・・・パスポートをなくすことはたいした問題じゃない。ノートをなくすことは破滅だ。・・・>、これはブルース・チャトウィン という作家の作品中の名言。

このような名言に囲まれて5月の、というより5月というにはクソ暑い日々を過ごしております。5月の連休明けの頃には「そもそも」などという基本国語をわざわざ辞書で調べて使用しているというのに、辞書で示されている意味で使用していない御仁の空しき日本語に翻弄されている貧しき国、今年の5月の新緑はまさに人に集中力を目覚めさせるのに十分な鮮やかさであり、しかし、緑に目を奪われているうちに、鬱にならないようにケアしなきゃいけない。

<ノートを>なくすことの破滅度については熟知している自分にとって、外に出かけるときにはソフト装丁のMOLESKINEプレーン 、ウチの机の右サイドにはA5版のStalogy 、の2冊のノート。後者をなくすことはまずないと思うけれど、前者をなくすことはあり得る、出先で人様からお聞きした貴重にして希有な内容がコンパクトに、しかもニュアンスも含めて書いたメモ、あるいは地下鉄やバスに乗車中、あるいは歩道を徒歩している最中に浮かんだアイディア、覚え書き、これはなくしたくない。

最近はこのMOLESKINEに加えて、財布はもちろん、グラサンと老眼鏡、iPhone、らを携帯しており、どれをなくしても痛い事態となる。陽気の良さも手伝い、わが行動制限も徐々に緩和され、引きこもり気味の我が身に慣れない外出の機会が増えているので、要注意。

一方、この10日ほど私を捕らえて放さない、鈴木大拙というビッグネーム。とりわけ最初に取り組んだ著作、『日本的霊性』について、大地性、莫妄想、無分別智というキーワードを中心に学びのメモをStalory に8ページ。今、読み返しても興味は尽きない

少しだけ、前へ

世の中は、GWとか大型連休というものが今日で終わるようだが、曜日のない日々を過ごしている身としては、変わらずに、マイペースで4月から5月への推移を楽しんでいる。

年に正月三が日を休みとしている多忙を生業としている家人でさえ、この10日ほどはペースダウンして余暇を楽しんでいる。4日には二人でホテルオークラ裏にある菊池寛実記念智美術館で開催中の<篠田桃紅〜昔日の彼方に>を観に行った。100歳を超えてからの新作を観られ、ある種の奇跡を鑑賞した感。

2年をかけて<司馬遼太郎全集>を読み切った家人のオファーで「何か読むものはないか」と言われるので、アマゾンで探していたら<司馬遼太郎短編全集>というのが文芸春秋社より出ており、3月末購入し読み始めた家人、全12巻のうち、もう4巻を読破してしまった。<断捨離>を旨とする家人にとって、先の<全集>を私がしかるべき価格で売った後のスペースをうまく活用して収めるだろう。この一連の司馬遼太郎の作品に頻繁に扱われるのが大坂とその周辺、この地域についてユニークにしてグローバルな視点で論考した中沢新一の「大阪アースダイバー」、これを私が熟読している。


中沢新一といえば<・・・『ボレロ』を聴くよろこびは、2の原理と3の原理、シンメトリーと非シンメトリーという、現実の世界ではめったに和解しあうことのないモデルどうしが、「この世ならぬレベル」で(中略)、調和や対称性を実現しているのを知覚することによってもたらされる、幸福感に根ざしている。・・・>という腑に落ちる箴言を思い起こす。

映画では洋画で「ニュースの真相」、邦画で「お父さんと伊藤さん」という2作の佳作に遭遇した。まさしく、2の原理と3の原理を象徴とする2作、後者はとくに、藤竜也リリー・フランキー上野樹里の快演が作品の微妙なニュアンスを活かしていた。

昨日は知り合いの紹介で、我が身にはじめて針というものを刺すという体験をした。いわゆる<鍼灸師>による施術。体全体がポカポカと温かくなり、全身の血の巡りがよくなることを体感、部分のしびれが消えたのは不思議。いきなり治癒することはないものの、少しずつ改善していく、という指摘に納得。

なんとなくではあるが、少しだけ、前へ進んだ実感を持てた、わが黄金週間、ではありました。

悪鬼羅刹な・・・

悪鬼羅刹な4月、と1月の更新で書いたが、辞書で調べなくても、<悪鬼羅刹>などという言葉はない。しかし、この21世紀にあって、何が起きても不思議でない地球上、分けても、この狭い島国に暮らしていると、本来、花は咲き、葉は新緑が彩り、若者たちが社会に進み出ていく、かつてあった清新なイメージをなつかしく思い出すが、今、気象も社会構造も<異常>というほどのカオスを呈しており、人々はその対応(アジャスト)に汲々としている、それが現状。

私とても、先々週末の花見行幸において、調子に乗って、8000歩も歩いてしまい、週明けのかかりつけ医との診療において、「こりゃ、無理筋、ですよ」とダメ出しされてしまった。で、その際、「PT、つけますか」と医師に提案されて、「PT? あ、知り合いにおります」ということで、今週月曜日、3人でカンファレンス。20年来の旧友であるPT氏がいわゆる<生活指導>を担当することとなった。知人としての彼は穏やかな実能家であったが、担当PTとしては私に厳しかった、当たり前だけど。数々のチェックポイントをリストとしてプリントアウトし、実践するように指導された。唯一、寛容であったのは<喫煙>を控えめにすること、暗に<自己責任>ですよ、と。有酸素運動を控えて、筋力を保つためのエクササイズを少量ずつ多種目、連休明けまでに目標値を達成するために一昨日から実践しております。

幸い、生業とする仕事がフィジカルではほとんど消耗を要しないデスクワークなので、問題ないが、生きがいとしていたフライトという余儀を全うできないのが痛い。現代の実状というファクトを察知するのに、とても有効なフィールドワークなのだが、しばらくは限定的にせざるを得ない。早く、魑魅魍魎の5月が訪れることを切望する日々、です。

サクラ

3月22日にお役所が東京に「ソメイヨシノ開花宣言」をしてから3週間、いまだ、東京のあちらこちらにソメイヨシノは「咲き残って」おります。先週末、家人と話題の<中目黒>へ花見に赴きました。とてもじゃないけど、花見ではなく、人見するしかないという次第で急遽、中目黒高架という交差点より、目黒川でいうところの下流に移動しました。こちらは、歩道にほどよく人が行き交い、結局、雅叙園まで歩き、川の両岸の桜を堪能しました。

今日現在も隣家の庭の桜は散らず、少しだけ葉が出てはいるものの、一昨日昨日の雨や風にも耐えて、散らずに残って、見事です。これだけ桜を少しずつなが〜く愛することのできる年ははじめて。気象のなせる技でありましょう。

桜と言えばサクラソング、今年の白眉は半崎美子の「サクラ〜卒業できなかった君へ〜」。開花宣言の直後に『うた弁』という彼女の初めてのメジャーリリースをダウンロードしました。何回聴いただろうか、100回ではきかないと思う。これまで聴いたことのない声質、当該曲以外にも安定したバラードの完成度が高く、安心して聴ける以上に、深みのあるパフォーマンス、さすがにインディーズとして聴衆を前にしてのライブを重ねてきた、いやな言い方だけど<たたき上げ>た歌唱、です。ソングライターとしても、歌詞も曲も成熟しており、オリジナリティにあふれています。久々に登場した逸材です。

さて、映画は時折見ているものの、あまり偏ってはいけないという自分の中のライフバランスみたいなものが働いて、先週あたりから読書に舵を切った(笑)。それも珍しく新刊>を購入、『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』(手嶋龍一著・マガジンハウス)。情報の時代の世界潮流という触れ込みで、個人的には好きな著者ではないのだが、マターの扱い方を評価して読んだところ、面白い、こういうの今の時代の本読みは待望しているのだな、と。その関連で、早川書房からジョン・ル・カレの自己回想録『地下道の鳩』が先週発売されたので、これをこれから読む。

至福&耳福

いつの間にか、一年の4分の一が経過しており、昨日はフール・オン・ザ・ヒルならぬエイプリルフール、一年前のこの日の朝、「ああ、自分の人生の終わり、なんてこんなものだったのか、早いような、でもそれなりに長かったかな、まあ、自分なりによく生きたよ」とわずか2、3秒の瞬間に思ったこと、頭が白くなり、胸にわずかな鈍い痛みがあり、意識が緩慢に薄れていく、そんな臨死の縁を垣間見た、そんな経験を初めてした、そんな<記念日>でした。

だから、先週の年度末ウィークは殊更に寒かったこともあり、多忙な中、非常にムリをしないよう自重に自重を重ね、ナントかトンネルを抜けたような気分です。

多忙もあり、このところ傾注していた映画を見ることもなく、本を読むこともなく、ちまたで話題の坂本龍一プロフェッサーの<新譜>を聴くこともなく、強いてあげれば、ラジオにハマっていた、と言うべき一週間であったかもしれず、やはりラジオというものの魅力は計り知れないと実感させられ。

その中でも2つ。一つは開局65周年を迎えた文化放送の特別番組(3月30日、木曜日の午後6時から9時)であり、イタリアのアルバという町で2人の神父のやりとりから始まった、という開局ストーリーから、この65年の間に<デンスケ>という機材を肩にしてラジオのスタッフがいかにその時々の<現場>を取材したかというドキュメント。学生時代、三島由紀夫が市ヶ谷の防衛省でことを起こした同じ時間に私は、当時本局のあった文化放送の見える四谷・若葉町でうごめいていた立場として、興味深く聴いた。

もう一つは、この<番組改編期>にいくつかの番組が終わり、いくつかの番組が生まれてくる時期であり、「新たな話術」が登場した番組に立ち会いました。3月28日午後9時からTBSラジオにて「神田松之丞ひとり語りの一時間」という至福、耳福な番組に遭遇、4月2日午前0時半からの30分間、「神田松之丞問わず語りの松之丞」という3ヶ月限定レギュラーの初回につながった。<話術>の確かなる<話芸>の才人に出会えたというのは至福&耳福、なんですわ。

五分咲き

冷たい雨がしたたる降り、ブラックに近い気分の月曜日。昨夜の大相撲大阪場所における稀勢の里の熱闘が遠い昔に感じられる事業年度最後の週初め。

 

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我が家の桜は、先週の火曜日の気象庁による<東京で桜開花>と時を同じくして開花し、順調に五分の咲きよう。この蕎麦猪口に植えられた桜は、種を<雲母>と言われ、昨年7月にバザーで入手したもの。その時は、きれいな緑の葉に覆われた状態であり、秋には枯れ葉となって朽ちたかの錯覚を覚えるものの、枝は細いものの、見事に冬を乗り越えた。3月初めに<芽>らしきものが確認され、先週火曜日に見事に開花した。

 

ところで、都内の桜(ソメイヨシノ)は一向に開花していないように見えるのだが、まあ、気象庁を責めるのはやめよう。先週末、お花見を予定した善男善女たちには同情を禁じ得ぬ、が。

 

 

誘惑、修羅を上回る

 

三月弥生も10日をを経過、<修羅の三月>は名実を伴っていた。振り返ればわが人生は修羅常套ではあった、修羅上等ともいえた、楽しんでさえいた、これはいささか傲慢な物言いではあるが、本年度のわがテキスト(通年教科書自指定)の大江健三郎『定義集』においては、序盤から読み捨てならぬ逸文がならんでおり、現職官僚や閣僚らにとっても<指定教科書>としてお薦めしたいものであるがいらぬお節介だろう。

二月の終わりから昨日まで、<人間が機械になること・・・>、<繊細な教養の所産が壊される>、<書き直された文章を書き直す>らを熟読し、ああ、大江健三郎さんにとっても相当な修羅をくぐり抜けてこられたのだな、と実感。

教科書とは異なり、映画をずっと見続けているので読書も快感を求めてマニュエル・プイグの『天使の恥部』なんぞを読み終えました。『蜘蛛女のキス』同様、文章が視覚的で、この作品も映画化されたものを見てみたくなる作品でした。

 

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で、映画ですが、縁なんでしょうか、私が『セッション』という作品を見ていたときにBSだかCSだかで同作品が放映されたようで、翌日の文化放送大竹まこと氏が見て感心したと話していた。その文脈は、『セッション』の監督が作った新作『ラ・ラ・ランド』がアカデミー賞有力作であることの延長にあったが、同番組にゲストで出たいとうせいこうは同作もいいが私はこれを推すと『ムーンライト』を紹介し、結果は皆さんご承知のようになりました。個人的には目先の事実より歴史となった作品を見るスタイルなので、『ラ・ラ・ランド』も『ムーンライト』も3年先ぐらいに見る予定。

で、『セッション』が素晴らしく、教授役で助演男優賞を獲得した役者、J.K.シモンズに魅入られた。この役者は、題名は忘れたが女流警察官を主人公にした連続ドラマの皮肉な上司役で見慣れていた。ああ、ここで思い出した、連続ドラマのタイトル、『クローザー』でした。調べたら、出演映画数がハンパでない、日本流に言うところの<名脇役>なんでしょうね。『セッション』を見ていて思ったのは演出家・蜷川幸雄さん、さぞかし、演出中の蜷川さんはこのプロフェッサーのような剣幕だったのでしょう。この作品に魅せられた私は監督・デミアン・チャゼルが脚本を担当したというだけで、『グランドピアノ 狙われた黒鍵』まで見てしまった。映画の基本、シナリオが優れている、『ラ・ラ・ランド』は見ていないが、『セッション』も『グランドピアノ』も楽譜がポイントになっている。三十を過ぎたばかりのデミアン・チャゼル、これから楽しみだ。