学生時代に購入した記憶はある。それが手元はおろか、南信州へ運んだ中にもないという確信がある。ではどうしたのか。メイビー、学生時代に私のアパートに遊びに来た友人が、「ほぉ、これは面白そうだ、借りていくね」と持って行って、そのままになってしまったのでは?
『高い城の男』(フィリップ・K・ディック著、川口正吉訳、早川書房)のことである。アマゾンプライムオリジナル制作の『高い城の男』を見始めたら、原作を読みたくなった。仕方ない、渋谷の書店で同作品(浅倉久志訳・ハヤカワ文庫)を購入した。映像を見つつ、原作を読み進める。
1965年に原作単行本が刊行され、同文庫本が1982年に刊行されている。単行本は読み始める前に友人に<拉致>された。その後、すぐに<捜索>し、<回収>して読めばよかった。それでなくても、文庫本を購入して読んでおけばよかった。
原作も映像作品も細かなところは異なるが、ディックが描いた世界はいささかも変わらない。どちらもよくできている。とくに原作の浅倉久志さんの訳もすばらしく、かゆいところに手が届く文章であり、半世紀前の作品である古めかしさはまったくない。
映像で描かれる1962年のサンフランシスコ、支配している日本の通商大臣・田上信輔がいい。原作では主たる登場人物がそれぞれ<行き先>を易で占っている。これは原作にも、<易経>を軸に据えた世界観を描いていることに忠実だ。
映像のシーズン1の第2話、30分過ぎに田上信輔が筮竹を手にしたシーンでいきなり『上を向いて歩こう』(歌唱・坂本九)が流れてきたときはびっくりした。1962年という時代考証(同曲はこの年リリース)をしっかりしている、舞台美術、ファッションも徹底して時代に忠実なのが大きな評価ポイント。
映像作家たちが、ディックの作品を映像化したくなる要素があるんだろうな。『ブレード・ランナー』、『トータル・リコール』、『スキャナー・ダークリー』、『マイノリティー・リポート』しかり、である。